2020年05月14日
モンカディスタの釈放から65年 キューバ
フィデル・カストロ(中央)らの釈放
Radio Rebelde、2020年5月14日、Andrés Machado Conte記者
フルヘンシア・バティスタは1954年にいくつかの不正選挙によって、クーデター政権に正統性を与えようとした。そしてそれを実現させるために恩赦を思いついたが、当初はモンカディスタ(モンカダ兵営襲撃事件の参加者)を含めていなかった。しかし世論の圧力が大きく、その戦略は独裁者に対立した。
ヌエバ・ヘローナ(イスラ・デ・ラ・フベントゥの県都)出身の歴史家で教育学者のロベルト・ウンヘル・ペレスは、歴史の偶然を指摘した。
囚人となった革命家たちのうちもっとも大きなグループは1953年10月13日にピノス島(当時)に到着したが、この日は1870年にスペイン植民地政府がホセ・マルティを政治囚として同所に送ったのと同じ日だった。
ヘスス・モンタネー・オロペサ大学の教授でもあるロベルト・ウンヘル・ペレスは、ピノス島男子刑務所での1953年7月26日の戦闘員たちの抑留が同地の現代史にとって意味した新たな内容を示した。
ロベルト・ウンヘル・ペレスは、1955年5月15日(釈放日)のピノス島住民の素晴らしい動員が、フィデル暗殺の命令により島に派遣されたバティスタ独裁のシークレットサービスの2人のエージェントの行動を頓挫させた、と語った。
ヌエバ・ヘローナの歴史家ロベルト・ウンヘル・ペレスは、革命指導者フィデルが、その刑務所で1954年2月にフルヘンシオ・バティスタを拒否するという名高いエピソードによる報復後に中断していた、組織的課題および1953年7月26日の出来事の再建に釈放の最初の瞬間から専念した、と述べた。
キューバ人エッセイストであり教育者のロベルト・ウンヘル・ペレスは、ピノス島の刑務所の外でのあの最初の数時間が、やがて7月26日運動の公式憲章となるものにとって、決定的だった、と定義した。
このニュース音声はこちらから。
キューバTV モンカディスタの釈放年代記(2011年5月15日)
テレスール モンカディスタ釈放63周年(2018年5月15日)
La vigilia de una Isla por los Moncadistas
http://www.radiorebelde.cu/noticia/la-vigilia-una-isla-por-moncadistas-20200514/
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