2020年01月11日
レスリー・アンデルソン インタビュー キューバ野球でふたたびプレーすることに勝るものはない
レスリー・アンデルソン(中央)
Cuba Si、2020年1月11日、René Javier Domínguez Morales記者
ラティーノアメリカーノ球場の観客席で足を伸ばしている彼に出会った。横には、すぐれた同僚であり友人でもあるアレクサンデル・アヤラやフレデリク・セペダの2人がいた。長身(187cm)の彼は、プロ野球での経験によってその身体、忍耐力、労働倫理が強化された。
とても愛想がよく、そのキューバ人らしさは、そのコミュニケーション同様に素晴らしいものだ。「好きに撮って」、と言う。まったく見劣りしない自身の契約実績にもかかわらず、本質的にその謙虚さは変わらない。
「ここに来たのはここが私の祖国でありカマグエイを最大限助けるためなんだ」、と37歳の左利きは語る。
2000〜2001年シーズンにキューバでそのキャリアを開始し、9年間で尊重される数字を残した(打率.328、出塁率.416、長打率.486、OPS.902)。943安打を打ち、473打点をあげ、85本塁打を放った。キューバ代表として、2006年と2009年の2回のWBCなどの主要イベントにも出場した。
- 米大リーグ、日本野球リーグ、カリブ野球で己を試したあと、キューバリーグでもう一度プレーするモチベーションは何ですか。
残念ながらもう亡くなってしまったが父から頼まれたことだ。ここに来る機会はほかになく、それを実行したが、そのことにはとても多くの意味がある。私の歴史はここで始まったのだから。キューバ野球はもっとも楽しまれている野球だ。自分たちの土地の、自分たちのチームの野球だ。もう一度キューバでプレーすることに勝るものはない。
- キューバのファンからの歓迎はどうでしたか
すべてとても素敵だった。願っていた夢でもあったんだ。キューバでキャリア最後の年にプレーするというのは。
- どれくらいの間、ラティーノのグランドには立ってませんでしたか。
10年だ。一口に10年と言ってもそれなりの時間だ。プレーオフの最初の2試合でどうなったか。これまで決してあんな感じでプレーしたことはなかった。あれらの試合を決める打撃をしたときに感じることができたことを想像してみてよ。それは私にとって忘れられないものだった。
- カマグエイチームについて、そして今年達成したことについて話してください。
素晴らしい1年だった。ボロートはすごい監督で、モチベーションを引き出してくれるすぐれた存在であることを証明した。インドゥストゥリアレスのような名門チームに勝ってリーグの上位に残り、いまマタンサスとの決勝に立ち向かうことになった。ほかのコーチ陣たちの働きも、すべての選手たちの貢献もとても良かった。
- タンパベイ・レイズの組織の一員として4年間過ごしたことはレスリー・アンデルソンにとってどのように重要でしたか。
彼らとともに私はプロであることを学んだ。それは別の野球だ。人は才能を持っているが、その関りのなかで人は多くのことを学び、試合を自分の仕事として引き受ける。トレーニングの仕方、自己改善、うまくやるというコミットメント。なぜなら職を失う危険があるからだ。
- あなたはマイナーリーグではいい結果を出したシーズンがありましたが、メジャーへの召集は一度も受けませんでしたね。ラテン系選手がメジャーに昇格するのはとても難しいことですか。
言葉の障壁、外国人であること。何度もいい数字を出しても決して昇格されない。各組織はその選手たちとは異なる戦略を持っていて、多くの場合、北米の選手たちが優先される。レイズでの在籍ではユネル・エスコバルにとても感謝している。
- 2014年には日本野球でもっとも重要なチームである読売ジャイアンツと契約して、3番打者に起用されました。
それは私のキャリアで最大の達成の一つだった。日本のジャイアンツに加入して、その1年目に重要な数字を残すこと。残念なことにそのあと私は負傷して、2年続けて期待した高さにいることができなかった。日本野球はとても正確で、多くのことを教えてくれた。
- ジャイアンツでは傑出したもう一人のキューバ人選手フレデリク・セペダと同じユニフォームを着る幸運にめぐまれましたね。その経験はどうでしたか。
フレデリクは友人以上で、私の兄と言える存在だ。キューバ代表メンバーとして同じチームで彼と共有することは常にとても特別なものだった。彼は驚異的な野球選手だ。向こうでは二人で食事に出かけたし、言語では助け合った。ラテンの人間にとって日本文化に適合して東京のような都市で暮らすことは難しい。
- キューバ野球を改善するには何が必要だと思いますか。
そうだな、まずは精神的な面、そして戦術面だ。野球がひとつの職業に対してと同じように引き受けられ、そのことにとても責任を持たなければならない。道具をもたらし、それに投資すること。キューバ野球は世界最高の才能をかかえている。この国は選手たちを生み出す工場だ。彼らを成長させ、下位カテゴリを発展させ、多くの古い概念を変えればいいだけだ。最高の才能が出国しているのは確かなことだが、いまは連盟を通して契約する方法があり、選手たちの物質的必要性を解決する。この面で、契約をもたらす責任者は契約手続きにおいてもっと攻撃的であるべきだし、まだキューバにいる才能を保護するべきである。最後に、興行としての観点だ。それが現在の野球においては不可欠なもので、人びとは球場に遊びに行き、チームの質のいいユニフォームや帽子が売られているのや、選手たちのポストカードや球場の大スクリーンを見る。われわれのキューバ野球にはそれが欠けていると思う。
マイナーリーグ(タンパベイ・レイズ)での成績
4年間、455試合、1724打数508安打(打率.295、出塁率.350、長打率.441、OPS.790)
日本リーグ一軍(読売ジャイアンツ)
3年間、173試合、541打数156安打(打率.288、出塁率.355、長打率.460、OPS.815)
注:このインタビューは二度にわたっておこなわれた。1度目はレギュラーシーズン中、2度目はプレーオフのときである。
レスリー・アンデルソン(左)キューバ代表時
レスリー・アンデルソン キューバ野球復帰後インタビュー
レスリー・アンデルソン フレデリク・セペダとの相互インタビュー
レスリー・アンデルソン インドゥストゥリアレスとの準決勝試合後のインタビュー
Leslie Anderson: “Nada como jugar de nuevo en Cuba”
http://cubasi.cu/cubasi-noticias-cuba-mundo-ultima-hora/item/103362-leslie-anderson-%E2%80%9Cnada-como-jugar-de-nuevo-en-cuba%E2%80%9D
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