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2021年10月20日
第一編 第三章 第五節 天孫降臨の經路 東亞民族南下の情勢
第三章 天孫降臨
第五節 天孫降臨の經路
高天原の在所既に之を地表上に求むべく、而して天孫降臨の地が、假りに日、肥、豊三國の境上附近にありとすれば、果して如何なる徑路を取りて、天孫の此の地に來り給ひきと信ぜられたりしか。
是當然次に起るべき問題なりとす。
東亞民族南下の情勢
つらつら亞細亞東部に於ける民族南下の情勢を考ふるに、孔子の所謂未開勇猛なる北方の強者が、南方温暖なる好地を求め、黄河の流域なる中原地方に向って其の歩を進むるの事は、志那歴代の史の常に繰り返す所なり。
而して朝鮮半島に於ける民族の遷移、亦實に同一の經過を取れるもの多きを見る。
有史以前の事は考古學の撥達を俟って後決すべく、暫く架空の忖度を避く。
されど其の今日迄に世に知られたる石器時代遺物分布の系統を案ずるに、我が本州の西半、並びに四國、九州等の地方の遺蹟より發見せらるる所の或る種類の遺物は、南は臺灣より、北は朝鮮、滿洲にまでも連絡を有するものの如く解せらるるなり。
是れ蓋し嘗ては同一系統の民族によりて、是等の諸地方が時を同じうして、又は時を異にして、棲息せられたりしことあるを示せるものなるべし。
降りて志那に於ては、殷末に當り、箕子殷の遺民を率ゐて東の方朝鮮に來り、ここに古朝鮮國を建てたりと傳へらるる。
其の事必ずしも信ずべきにあらざらんも、亦以て朝鮮歴史の始原とすべからんか。
後久しくして燕人衞滿東に遷りて、箕氏を逐ひ、箕氏乃ち更に南に遷りて、韓國を建てたりといふ。
是れ今の全羅南北道の地方にして、所謂馬韓の地なりと稱するなり。
然らば朝鮮は、當初漢族によりて建てられたりとなすものの如し。
然れどもこは韓人が志那の文明に憧憬して、祖先を其の賢哲の名に附會せしものか、然らずば漢人が古賢哲箕子の末路を粉飾し、若くは己が民族の勢力を誇張して、唱へ出せし附會説にてもあるべく、韓族は蓋し、古書にて知り得る朝鮮半島最古の住民なるべし。
志那の古代に之を干夷といふ。
彼等もと廣く北部地方にまで蔓延せしが、西北より侵入せる漢族其の地の壓迫によりて、先づ南下するに至りしものなるべし。
かくて衞氏代りて朝鮮に王となりしが、後久しからずして漢の武帝の遠征に遇ひ、其の地遂に漢の郡縣となる。
馬韓の東に秦韓あり、弁辰と雜居す。
今の慶尚南北道の地方なり。
其の國人もと秦の亂を避けて流移し、馬韓王其の東界の地を割いて是に與ふ。
故に秦韓と名づくと稱せらる。
秦韓人漢の樂浪人を稱して阿殘といふ。
我等黨與の遺留者の義なり。
亦以て秦韓人が、自ら漢族たることを覺知せし證とすべし。
蓋し秦人韓の地に入りて、其の土人と混じ、而も自ら漢族を以て任ぜしものならん。
弁辰一に弁韓と稱す。
辰韓と雜居し、習俗頗る相類す。
其の之を分つは、蓋し土着韓人の要素多きに居りしものならんか。
叉別に扶餘族あり、遼東より南下して半島の中部以北に繁延す。
高句麗、沃沮、濊、貊等の族、皆之に屬するなり。
中にも高句麗の族最も勢力あり、遼東の地方より半島の北部に渉りて國を建つ。
其の族の南に遷りて馬韓の地に興れるもの、之れを百濟となす。
是れ實に朝鮮史の語れる古代民族遷移の大要なり。
固より事古代に屬し、載籍不備にして其の委曲を知るを得ざれども、大體に於て朝鮮半島に民族南下の事の屢々行はれたりし事は、到底之を否定すべからず。
而して其の南下して朝鮮半島に在りしもの、他の壓迫により、若くは自ら好地を求めて、更に是れより南下せんには、必ず我が群島國に來らざるべからず。
タグ:東亜
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