月曜日。半分の月がのぼる空二次創作の日です。
今回はコミカル調の仕様となっています。
派手なキャラ崩壊等はありませんが、一応御了承ください。
※昨日うpした際、少々しっくりこない部分があったので、最後の方の文章を幾ばくか書き直させていただきました。
半分の月がのぼる空(電撃文庫) 文庫 全8巻 完結セット (電撃文庫) 新品価格 |
―5―
「いらっしゃい。」
「お・・・おう。」
戎崎裕一が訪れたとき、秋庭里香はすでに戦闘態勢であった。
白いワンピースに、猫のアップリケの付いたピンクのエプロン姿。
正直、ときめいたりしてしまう戎崎裕一だったりする。
しかし、そのトキメキも家の中に入った途端吹っ飛んでしまった。
家の中は、真っ黒い煙に満たされていたのだ。
「お、おい!!何だよコレ!?」
思わず叫ぶ戎崎裕一に、秋庭里香は平然と答える。
「何って、ひじき煮てるだけだよ。」
「煮てるだけって、何だよこの煙!!焦げてんじゃないのか!?」
「焦げてないよ。火焚いたら煙が出るの、当たり前じゃない。」
何を当たり前の事を言っているのかと、馬鹿を見る様な目で見られて戎崎裕一は絶句する。
いやいや、ない!!ないぞ!!どこの家でも、台所で火使って黒い煙出るってのは異常事態だぞ!!
心の中で叫ぶ戎崎裕一だが、当の本人が目の前で平然としている。とても突っ込めない。
「何してんの?早く入ったら。」
「は、はい・・・。」
促されるまま、戎崎裕一は黒い煙の満ちる家の中へと入った。
「もうすぐ出来るから、待っててね。」
そう言うと戎崎裕一を茶の間に残し、秋庭里香は黒い煙を噴出す台所へと戻っていった。
―そして話は冒頭に戻る。
ガタンゴトン・・・ジュワジュワ・・・ギィギィ・・・ガタタン
台所からは相変わらず、料理をしているとは思えない音が響いてくる。
一体、何をどう料理しているのだろう。気にはなるが、とても覗いてみる勇気はない。
座したまままんじりともせず、ただ時を待つ。
もっとも、戎崎裕一とて何もせずにこの時を迎えた訳ではない。
世古口司から事の次第を告げられてから、彼は彼なりに対策を行っていたのである。
賞味期限が十日前に切れ、パサパサに干からびた赤福にマヨネーズとケチャップをかけて食した。
知人らが声をそろえて、“飲めたものじゃない”と言ったジュースに、これまた“食えたもんじゃない”と太鼓判を押したスナック菓子を浸して食した。
おばちゃんが絶好調時のまんぷく亭の唐揚げ丼に、さらに七味唐辛子を山になるくらいふりかけて食した。
カップ麺にお湯の代わりに熱した青汁を入れ、それにラー油を一瓶丸々入れて食した。
等々。
とにかく考えられうる全ての手段を使って、自分の舌をとことん苛め抜く生活をしてきたのである。
それに加えて、口に入れた物を少しでも美味く感じれる様に、今日は朝から何も食していなかった。
備えは万全、と自負はしていた。
どんな料理が出てきても、耐えて見せる。美味いと言ってみせると決意していた。
それでも・・・
ゴト・・・ゴトゴト・・・ギィコギィコ・・・ゴボゴボ・・・
台所から聞こえてくる怪音と、充満する黒煙を見るにつけ、その決意は台風の日の枯れ木の様にグラグラと揺らいだ。
今や、戎崎裕一を支えているのは、秋庭里香に対する想い。それのみであった。
一本だけの柱とはいえ、他のどんな物よりも強固なそれは、まさしく最後の要として戎崎裕一をこの場に踏み止まらせていた。
・・・その電話がくるまでは。
チャラチャッーチャラ チャラララララ
突然響いた着信音に、戎崎裕一は飛び上がるほど驚いた。
携帯を取り出してみると、世古口司からの電話であった。
ドクドクなる心臓を押さえながら、電話に出る。
「もしもし?」
「・・・裕一?」
聞こえてくる世古口司の声は、どこか思いつめた様な響きがあった。
「司・・・?」
「裕一、ごめん!!早く、早く逃げて!!」
切羽詰った声であった。勝ち目のない戦に臨もうとしている友人を止める様な、そんな必死さのこもった叫びであった。
「な・・・何だよ!?どうしたんだよ!?」
「ごめん!!本当にごめん!!裕一に見せたあの写真、実はみんな“加工”してたんだ!!」
「・・・は?」
突然の告白に、戎崎裕一はポカンとした。
あの料理の写真が、“加工”してあった?
どういう事だ?
訳がわからない。
「あのね、裕一・・・」
曰く、かの写真は一度パソコンに取り込んだ時、“加工”を施して見た目を変えていたのだと言う。
そのあまりの凄まじさに恐れ戦いた世古口司が、戎崎裕一に与える衝撃を、せめて幾ばくかでも和らげようと思って行った処置であった。
しかし、それは戎崎裕一に事前の覚悟を促すという目的には明確に反する行為である。その辺り、世古口司も冷静な判断力を欠いていたのだろう。
「だから、だから早く逃げて!!裕一・・・」
戎崎裕一は呆然とした。
力の抜けた手から携帯が落ちて床に転がったが、それにも気付かない。
“あれ”で加工してあった?衝撃が少ない様に?
言葉の意味が、脳ミソに浸透するのにかなりの時間がかかった。
そして、その意味を咀嚼するのにさらに時間がかかった。
その結果、理解しえた答えはただ一つ。
至るべき結論に達した瞬間、戎崎裕一は我に返った。
そして、見た―
燃え盛る様な紅蓮があった。
深く水を湛えた湖の様な群青があった。
可憐に散る花の様な桜色があった。
固く干割れた大地の様な褐色があった。
果ては、明る過ぎる水色や、馬鹿の様に白けた緑といった何とも言い様のない色彩のものも。
家内に、充満していた煙の色が変わっていた。
先ほどまで確かに黒かった筈のそれは、今や幾重もの“色”の混じった、極彩色へと変貌していたのだ。
戎崎裕一は絶句した。
何だこれは!?何なのだ!?一体何をどうしたら、こんな煙が発生するのだ!?これはもはや料理の域を超えて、材料と材料が何か奇怪な化学変化を起こしたとしか考えられない。
戎崎裕一は、明確に生命の危険を感じた。
逃げよう。
それはもはや道理ではなく、本能的な衝動であった。
条件ではなく、反射であった。
しかし、腰を上げかけた戎崎裕一を、本能に押し潰されそうになっていた理性が呼び止めた。
ここで逃げていいのか。
逃げれば、間違いなく彼女を傷つかせる事になる。
それでいいのか。
彼女はお前のために、この一週間頑張ってきたのだ。
その想いを無碍にするなど、そんな事が男として許されると思っているのか。
本能的な忌避感と、秋庭里香に対する想い。
二つの力は、ほぼ同等。
拮抗する二つの感情に板挟みになり、戎崎裕一はそれ以上の行動を止れないでいた。
そして―
「お待ちどうさま。」
破滅の声が、茶の間の中に響いた。
―6―
今、秋庭家の茶の間は色とりどりの彩色に鮮やかに彩られていた。
茜、青、黄色、枯草色に菖蒲色。爛れた赤銅色に、錆びた青銅の様に不気味な緑青色。
別に、部屋が花か何かで飾られている訳ではない。
別に、何か変な“術”が起動している訳でもない。
驚く事なかれ、“これら”は湯気である。
テーブルの上にズラリと並べられた出来立ての“それら”から沸き立つ、正真正銘の”湯気”であった。
「さ、どうぞ。」
テーブルに差し向かいで座った秋庭里香が、そう言って促してくる。
もはや、逃げ場はない。
「・・・お、おう・・・。」
戎崎裕一はそう言って、震える手で箸を取った。
しかし、どれを選べばいいのだろう。
どれもこれも、原型が分からない。そして、何より色が凄い。焦げているとか生焼けとか言うレベルの話ではなく、全てが鮮やかな原色に染まっている。世古口司が写真を加工したくなったのも頷ける。最初からこれをそのまま見せられたら、その時点で戎崎裕一の心は折れていてしまったかもしれない。
しかし、こうして時は来た。やはり、これは運命だったのだろう。
とりあえず、一番手近にあった深皿を手に取る。中には濃い紫色をした、ドロリとした物体が入っていた。立ち昇る湯気は、臙脂色である。
色はともかく、この形状には見覚えがあった。たしかこれは、戎崎裕一が世古口司に一番最初に見せられた写真、「伊勢ひじきと油揚げの煮物」だった筈である。
正体がわかるだけ、なんぼかマシというものかもしれない。
「い・・・いただきます・・・。」
声の震えを押さえながら、皿の中に箸を差し入れる。
ニチャッという気味の悪い手ごたえが、箸を通じて伝わってきた。
そのまま一すくい。
口元まで持っていく。
不思議と、匂いはそう悪くはなかった。
チラリと前を見る。
秋庭里香が、こちらを見ていた。
真剣な表情であった。
不安と期待が入り混じった、今までに見た事がないほど真剣な瞳であった。
その瞳が、最後の一押しだった。
戎崎裕一は大きく息を吸った。目をギュッと閉じた。そして、深皿の中のものを一気に口の中にかき込んだのであった。
―7―
―戦いは終わった。
結論から言おう。
―美味かった―
そう。いかなる神の悪戯か、かの料理達、味は至極真っ当だったのだ。
ひじきの煮物はちゃんとひじきの味がしたし、焼き魚はちゃんと魚の味がした。
そうと分かった途端、朝飯抜きの胃袋が本領を発揮した。
食べた。
息もつかずに食べ続けた。
気付けば、戎崎裕一はテーブルの上に並んでいた食器の全てを空にしていた。
最後の一口を飲み下し、ふぅ、と一息ついて食器をテーブルに置くと、その様子をずっと見つめていた秋庭里香が訊いて来た。
「・・・どうだった?」
彼女にしては珍しく、ひどくおずおずした様子だった。
そんな秋庭里香に、戎崎裕一は満面の笑みを浮かべて答えた。
「すっげー、美味かった。」
それを聞いた秋庭里香は、フワリと笑った。
本当に、本当に嬉しそうに。
それまで戎崎裕一が見た中でも五指に入る、そんな、最高の笑顔だった。
「ふぁ・・・」
戎崎裕一が欠伸をした。
昨夜ろくに眠れなかった事と、数日続いた緊張が解けた事に加えて、充分な満腹感を得た事が、彼に急激で猛烈な眠気をもたらしつつあった。
「裕一、眠いの?」
「ああ・・・んぁ、ちょ、ちょっと・・・。」
食器を片付けながら、そんな事を訊いてきた秋庭里香に答えると、戎崎裕一はそのままテーブルに突っ伏してしまう。
「ああ、もう。そんな寝方しちゃ駄目だよ。」
秋庭里香は座布団を二つ折りにして枕を作ると、そこに戎崎裕一の頭を乗せた。
「ほら、これでいいでしょ?」
「ああ・・・わり、里香・・・」
それだけ言うと、戎崎裕一は瞳を閉じた。
眠りに落ちる一歩手前、戎崎裕一は微かに聞いた。
「ありがと・・・裕一。」
照れくさげにお礼を言う、秋庭里香の声。
そして・・・
唇に感じた、甘い感触は夢か現か。
その区別もあいまいなまま、戎崎裕一の意識は深く安らかな眠りに落ちていった。
夕方、秋庭里香の母親が帰宅した時、茶の間では戎崎裕一と秋庭里香が頭を並べて眠っていた。
それを見て一瞬、良からぬ可能性が頭を過ぎったが、その心配は二人の姿を見るとすぐに氷解した。
戎崎裕一に寄り添うように眠っている秋庭里香は、エプロン姿のまま。
無造作に投げ出された戎崎裕一の左腕を枕にして、自分の左手は彼の胸に乗せて。
そんな娘の穏やかな寝顔を、秋庭里香の母親は優しい微笑みを浮かべながら見つめた。
・・・穏やかな、春の夕暮れだった。
―その後、戎崎裕一から報告を受けた世古口司が、己の不明を大いに恥じるとともに、それまで持っていた“料理”に対する概念を根底から打ち崩され、しばらく立ち直れないでいたというのはまた別の話。
終り
【このカテゴリーの最新記事】