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2022年08月18日

森 英恵さん

20歳のころ、友人にこう言われたことがある。

「細いジーンズなんか穿くとカッコいいのにな・・・」

ということは、その時の恰好はカッコ良くなかった、という事だ。

私は、よく、自分のことを「流行の後端を行く」男だ、

と言っていた。

事実、ファッションには全く興味なかった。

今もではあるが。

されでも、ハナエ・モりの名前くらいは知っていた。

初めて世界に通用するファッションデザイナーであることも。

だから、孫の森泉さんをテレビで見た時は感嘆した。


その森さんが96歳で亡くなったという。

ご冥福をお祈りしたい。


森さんは皇室のファッションにも長期にわたり関わって来られた。

また、オリンピックのユニフォームのデザインも手掛けられた。

日本航空の制服を発表された時のことは、今でも覚えている。


森さんが世界に進出する原動力になったのが、

1961年にニューヨークで受けた衝撃だったという。

それは、日本製のブラウスが、「ワンダラー(1ドル)ブラウス」と呼ばれて

安物の代名詞として百貨店で売られていたのを見、

オペラ「蝶々夫人」では日本人が惨めな描かれ方をしていたのを見てからだ。

だからだろう、作品には浮世絵や歌舞伎に通じるものがたくさんある。

蝶をモチーフにしたものも多い。

決して、奇抜なものはない。

だから皇室からも信用され、日本航空からも信用され、

世界のイベントのユニフォーム制作にもつながったのだろう。


この元記事を書いた記者は、30年に渡って取材を続けたが、

一度だけ森さんが涙を流す場面があったという。

1996年、文化勲章の受章談話を取材中、話題が直前に亡くなった夫の賢さんに及んだ時、

「外で働いていると敵もたくさんいるし、つらいこともある。

でも、亭主は戦友。

いつも信頼してくれたのが支えでした」

そう言って、後は、言葉にならなかった、という。


森さんは戦後、日本の女性として世界に羽ばたいた。

ご主人も日本の男子だ。





 
posted by smile at 08:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム
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