2018年08月11日
仲良きことは 親日 インドネシアの独立
インドネシア国章.png"
東南アジアのイスラム教大国インドネシアは、
初代大統領のスカルノを始めとして、
すくなくとも75年間親日である。
スカルノにいたっては、
赤坂にいた日本女性を秘書として贈られて、
その後3番目の妻にしてしまうほどだ。
そのデヴィ夫人は今もご健在でTVでも活躍されている。
インドネシアは、
350年にわたってオランダの圧政を受けていたが、
日本軍が1942年に
侵攻してオランダ軍を追い出し日本統治がはじまった。
1945年8月15日に日本が敗戦した2日後
インドネシアは独立宣言をした。
原子爆弾が投下されたことも承知していた
スカルノ以下の電光石火の独立だ。
日本軍の助言や協力がなければ出来ないすばやさだ。
スカルノ初代大統領は独立宣言文に
「170805」
と日付を入れた。
「17」は17日「08」は8月、
では「05」とはなにか。
戦前の日本で使用していた皇紀2605年の意味だ。
スカルノ氏らは、独立を支援してくれた日本に
敬意をいだいていたことに間違いはない。
この「05」が証明している。
ところが驚いたことに独立宣言をしたインドネシアに、
ナント日本軍に追い出されたオランダ軍が、
再び植民地にしようと戻って来た。
しかし、3年間の日本統治を受けていたインドネシアは、
昔日の軟弱なインドネシアではなかった。
オランダは日本の統治を
自分たちの植民地政策と同様のものだと思っていたのだろう、
簡単に再び植民地にするつもりだったようだ。
ここから4年間の長い独立戦争が始まる。
日本軍政下で結成された
郷土防衛義勇軍をもとに編成されたインドネシア軍は、
スディルマン将軍をリーダーとして
ゲリラ戦をまじえて徹底抗戦した。
日本軍は武装解除したその武器や倉庫に有った武器を
密かにインドネシア軍に渡し、独立戦争を側面から応援した。
その戦いの中でスディルマン将軍が頼りにしたのが、
2000人以上の元日本将兵だった。
彼らは、「インドネシアの独立のために」と日本に帰国せず、
現地にとどまって陰に陽にインドネシア軍を助けた。
この戦いの中で、約半数の日本人が戦死している。
日本が大東亜戦争を起こした理由を
身をもって実践してくれたわけである。
大東亜戦争は、
オランダがインドネシアを独立国として認めた
1949年12月27日にインドネシアと日本の勝利で
終わったといえるのではないだろうか。
そこからわずか6年後、
1955年にインドネシアの主導で
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)が開催された。
民族自決を訴え、
欧米列強の植民地支配からの独立を宣言したこの会議の理念は、
日本が大東亜戦争で掲げた「民族解放の理念」と
一本の線でつながっている。
同会議の60周年式典には、
安倍晋三首相も出席し「平和と繁栄を目指す諸国の先頭に立ちたい」
と演説し万来の拍手をあびている。
「仲良きことは 親日 インドネシア スディルマン将軍」に続く
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