2018年07月27日
国を守る 日本語を守ろう
「恐れながら申し上げます」という言葉は、
時代劇などではよく使われるセリフだ。
これは、地位が下の者が上の者、
例えば家来が殿様に「自分の考えを言う時」に使われてきた。
これは何でもないことのようだが、
実は大きな意味を持っている。
日本には昔から、誰でもということではないが、
部下が上司に意見を述べることができる文化が
あるということだ。
日本ではそれが許されてきた。
民主主義の下地は古くから存在していたわけだ。
だから、会社でも上司に文句を言いたいときなど
「恐れながら申し上げます」と
断って言えば上司も聞かざるをえないのではないか。
さて、この「恐れながら・・・」も現在では使われていないが、
戦後、人権問題にからめて
「・・禁止用語」をたくさんあげつらい、
マスゴミだけでなく国民に使わせないようにしよう、
というバカ・・・ではなくアホな運動があった。
これが今だに尾をひいている。
本来マスゴミの自主規制のはずなのに、
ヘンな連中がヘンにこじ付けて
言葉狩りのようなことをやって来た。
日本後の単語一つずつの成り立ちを否定している。
理解していない。
きっと、日本語がわからない連中なのだろう。
一番よく話題になるのが「キチガイ」。
これは漢字で書くと「気違い」。
この「気」とは「気持ちの気」ではなく
「空気の気」「雰囲気の気」だ。「狂気の気」ではない。
「場違い」という言葉があるが、この使い方と同じだ。
今時の言葉でいうと
「KY(その場の空気が読めない)」の「K」と同じだ。
これのどこが問題だ。
「チョン」という言葉もある。
この「チョン」は例えば
「犬」という字の「’」のことで、取るに足らない、
とか小さいというような意味である。
昔の小説などには「チョンとつついてみた・・・」
というよう文もあったと記憶している。
「チョット」同じようなものだろう。
もし、この「チョン」を使うなというなら
「’」は何と表現すればいいのか。
そういえば「チョンの間」という言葉もあった・・・。
「三国人」という言葉がある。
これを朝鮮人への蔑称だという。
何をバカ・・・ではなくアホなことを言っているのか。
大東亜戦争での戦勝国・敗戦国のどちらにも当てはまらない国の人、
という意味で使った言葉だ。
本来、朝鮮は日本だったので敗戦国に相当したはずであるが、
独立するということなので
日本と区別(差別ではない)するために創った言葉だ。
一時期は台湾も同様だった。
それが何で蔑称になるのか。
別称ならわかるけど。
「百姓」も差別だというが、なぜだろう。
下男下女、女中も。どうも下も中もダメらしい。
「部落」という言葉がある。
今でもそうだが、田舎では「町」の中を
区分けする時の行政単位のようなものとして
普通に「部落」を使っている。
町の運動会や子供の球技大会のチーム構成は、
この部落単位であった。
日本語を正しく使う・守るということについては、
何といっても文部科学省に責任がある。
敬語の問題についても正しい行政がなされているか、
私には疑念がある。
時代劇などではよく使われるセリフだ。
これは、地位が下の者が上の者、
例えば家来が殿様に「自分の考えを言う時」に使われてきた。
これは何でもないことのようだが、
実は大きな意味を持っている。
日本には昔から、誰でもということではないが、
部下が上司に意見を述べることができる文化が
あるということだ。
日本ではそれが許されてきた。
民主主義の下地は古くから存在していたわけだ。
だから、会社でも上司に文句を言いたいときなど
「恐れながら申し上げます」と
断って言えば上司も聞かざるをえないのではないか。
さて、この「恐れながら・・・」も現在では使われていないが、
戦後、人権問題にからめて
「・・禁止用語」をたくさんあげつらい、
マスゴミだけでなく国民に使わせないようにしよう、
というバカ・・・ではなくアホな運動があった。
これが今だに尾をひいている。
本来マスゴミの自主規制のはずなのに、
ヘンな連中がヘンにこじ付けて
言葉狩りのようなことをやって来た。
日本後の単語一つずつの成り立ちを否定している。
理解していない。
きっと、日本語がわからない連中なのだろう。
一番よく話題になるのが「キチガイ」。
これは漢字で書くと「気違い」。
この「気」とは「気持ちの気」ではなく
「空気の気」「雰囲気の気」だ。「狂気の気」ではない。
「場違い」という言葉があるが、この使い方と同じだ。
今時の言葉でいうと
「KY(その場の空気が読めない)」の「K」と同じだ。
これのどこが問題だ。
「チョン」という言葉もある。
この「チョン」は例えば
「犬」という字の「’」のことで、取るに足らない、
とか小さいというような意味である。
昔の小説などには「チョンとつついてみた・・・」
というよう文もあったと記憶している。
「チョット」同じようなものだろう。
もし、この「チョン」を使うなというなら
「’」は何と表現すればいいのか。
そういえば「チョンの間」という言葉もあった・・・。
「三国人」という言葉がある。
これを朝鮮人への蔑称だという。
何をバカ・・・ではなくアホなことを言っているのか。
大東亜戦争での戦勝国・敗戦国のどちらにも当てはまらない国の人、
という意味で使った言葉だ。
本来、朝鮮は日本だったので敗戦国に相当したはずであるが、
独立するということなので
日本と区別(差別ではない)するために創った言葉だ。
一時期は台湾も同様だった。
それが何で蔑称になるのか。
別称ならわかるけど。
「百姓」も差別だというが、なぜだろう。
下男下女、女中も。どうも下も中もダメらしい。
「部落」という言葉がある。
今でもそうだが、田舎では「町」の中を
区分けする時の行政単位のようなものとして
普通に「部落」を使っている。
町の運動会や子供の球技大会のチーム構成は、
この部落単位であった。
日本語を正しく使う・守るということについては、
何といっても文部科学省に責任がある。
敬語の問題についても正しい行政がなされているか、
私には疑念がある。
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