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2018年04月02日

聖地 国立競技場

聖地 国立


解体された国立競技場が

いろいろな競技者から「聖地」と崇められるのは

あの建物が特別に立派だったからではない。

それぞれの競技で数々の名勝負が繰り広げられてきたからであり、

高校サッカーやラグビーの全国大会の準決・決勝の舞台として

使用されてきた伝統があるからである。

オリンピック、大学・社会人ラグビー、サッカーの代表戦、世界陸上、東京マラソンなどの

多くの名勝負が積み重ねられ、歴史となって、

一人一人の思いが「聖地」として

自然発生的に認識されてきたのである。

何十年もの年月を経て。


東京オリンピックで、その大会期間中、

はるばるギリシャから無数の人々の手で運ばれて来た

「聖火」を灯し続けた聖火台は、今、東北石巻市に貸し出されていて、

大切に保管されている。


新国立競技場完成時には東側入り口の正面に設置されるようだ。

この入り口の壁面には、旧競技場のメインスタンドに飾られていた

「野見(のみの)宿禰(すくね)像」「勝利の女神像」の壁画も

併せて配置されるということである。

勝利の女神は分からなくもないが、なぜ、野見宿禰像が国立競技場にあるのだろう。

国技館にあるのが自然ではないだろうか。

なんせ垂仁天皇の御前で、

当麻蹴速と角力(相撲)をとって蹴速の腰の骨をぶち折った大力だそうだ。

そして、当麻の領地だった大和の国の当麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えられるとともに、

垂仁天皇に仕えたという相撲の神様のハズだから。

しかし、良く考えてみると、

当時は出雲でぶん投げた石が関東のどこやらまで飛んで来たりしているので、

砲丸投げやハンマー投げの元祖と言えなくもない。


チョット勇み足のようになってしまったが、

国立競技場の話。この建造物の外見を飾ることなど、愚の骨頂であろう。

わけの分からない飾りは必要ない。

コンクリートの打ちっぱなしで何か問題があるだろうか。

選手にはなんの問題もない。

観戦者は競技を見に来るのであり、競技場を見に来るのではないだろう。


建て替えられている国立競技場が、

再び「聖地」と崇められるようになる事を期待したい。

こけら落としの大会が何になるのか知らないが、

2019年のラグビー・ワールドカップが成功することが一つの条件になることは間違いないだろう。

そうすれば、オリンピックもスムーズに開催され、

多くの感動を残し、次代に引き継がれていくだろう。


意図的につくられるのでなく、自然発生的に「聖地」化していってほしい。

マスコミも競技団体も余計な事を煽ったりしないでもらいたい。

選手とファンが、時間をかけて、大事に育てていく問題なのだから。

選手の皆さんには、先人が紡いできた伝統を大切に引き継いでいってもらうようお願いしたい。
















posted by smile at 18:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ
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