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2018年07月09日

仲良きことは 親日 ベルギー

W杯ロシア大会で日本とベルギーは

世界に感動を与える戦いをした。

勝ったベルギーの選手たちは、

監督(スペイン人)を含めて敗者の日本に

追い打ちをかけるような言葉は一言もない。

日本の監督・選手をリスペクト(尊敬)してくれる言葉しか聞かない。


当たり前の話で、正々堂々と戦った者同士は

戦いが終わればお互いを尊敬しあえる存在になるのが

普通の世界観だ。



世界史上でもトップクラスの凄絶な戦いをした米軍と自衛隊が、

今一番信頼しあえる軍同士になっているのを見れば、感動ものだ。



日清戦争の時、

米国の記者が日本軍が

一般市民を6万人虐殺したという記事を世界に発信した。

当時でさえ、

日本人は他のアジアの国とは違うと認識されていて、

そんな野蛮なことはしないだろうと思われていたのに・・・

世界の人々は「日本人もやはりアジア人か」と落胆したらしい。



その記事を見た当時の日本ベルギー公使アルベール男爵は

日本人がそのようなことをするはずがないと疑問に思い、

独自で調査をし記事が

全くのデタラメであることを本国に報告した。


死んでいたのは、

軍服を脱いだ清の兵隊であったこと確認している。


それどころか、

日本軍は捕虜に関する国際条約(ジュネーブ協定)を守り、

傷ついた兵隊は敵味方の別なく助け、

捕虜には格別の、

例えば日本軍人の倍の食事代をかけて接遇している。


清の兵隊は、日本人の氏隊を切り分けで、

それを人目につく所に置いたりしていたにも関わらずである。




日露戦争時、

それを知っていたロシア軍のポーランド部隊などは、

進んで ? ? 捕虜になり、ロシアから逃れようとした。

当時ポーランドはロシアからの圧迫に苦しんでいて、

反ロシアの戦いをしていた。

かれらはロシアのために戦えるはずはないのである。




第一次世界大戦でドイツは

ベルギーを軍事的にほぼ制圧したが、

ベルギー国王は自身も銃を持って前線に出るほどして戦った。


これに正義感あふれる日本人は反応し、

全国民をあげて応援した。



第一次世界大戦が終わって4年後の1923年、

関東大震災が起きた。


それを知ったベルギー国王は2日後には

日本人救済のためのベルギー委員会

なるものを立ち上げ、

朝野一体となって日本への支援活動をし、

多額の義援金を送ってくれた。


その額は、米国と英国に次ぐ額であった。

英国でさえ6000万人、

ベルギーは1000万人程度の国なのにも関わらずである。


ここらあたり、東北大震災時の台湾と行動がダブってみえる。


このような歴史をみると、

結局のところ国同士であれ、

人同士であれ親切にされればお返しをする、

というごくごく当たり前のことをすればいいだけのことのようだ。


ベルギーの後2回の戦いに期待しよう。

ガンバレ、アザール・デブルイネ・ルカク・フェライニ・・・・。





posted by smile at 18:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治
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