2018年06月25日
仲良きことは 親日 ポーランド
以下のサイトに、元ポーランド大使が寄稿されていて、
詳細な事実を書いておられるので、ぜひご覧いただきたい。
PHP Online 衆知
ポーランド孤児を救え!〜日本とポーランドの
友好を育んだ物語を多くの人に伝えたい
日露戦争で、日本が勝利したことは
当時帝政ロシアに圧力を受けていたヨーロッパの国々が
等しく喝采を上げたことは紛れもない事実であった。
第一次世界大戦以前、
帝政ロシアの圧迫により約5万人のポーランド人が
シベリアに流刑されていた。
さらに、第一次世界大戦のため、
ドイツとロシアの間に位置するポーランドは戦場ともなり、
多くの国民がシベリアに流民となって移住していった。
しかし、ロシア革命とそれに続くロシアの内戦のため、
シベリアの荒野を彷徨い、
あるいは餓死し、病死し、凍死していった。
1919年ウラジオストックにいたポーランド人は
「ポーランド救済委員会」を設立し、
シベリアに出兵していた米英仏伊日に孤児の救済を依頼したが、
それに応えたのは日本だけだった。
依頼を受けてわずか17日後に決断し、
日本赤十字社と軍部(陸軍のみ)が協議し、
救出作戦を立案実行した。
軍部としては、皇室が日本赤十字社の後ろ盾になっていたので、
無碍に断ることも出来なかったという事情もあった。
シベリアの陸軍は、
ゲリラなどと戦いながら一つ一つの村を訪ね、
ポーランド人の情報を集め、
一人ひとり抱きかかえるようにしてウラジオストックに連れて帰り、
第1回目として1920年7月下旬から数次にわたり日本へ送り始めた。
敦賀から東京へ。この年は都合375名。
第2回目は合計390名を敦賀から今度は大阪へ送った。
この時、子ども10人に一人の割合でこども達を安心させる為に
ポーランド人の大人も同伴させているのも、素晴らしい配慮だ。
当時の日本は朝野をあげて暖かく迎え、
多くの慰問品・寄贈金が寄せられ、
慰安会も何度も開催された。
不幸なことも起きた。
こども達から腸チフスを感染してしまった、
看護師の松澤フミさんが他界されている。
皇后陛下も子供達と親しく接せられ、
お菓子代として多額のお金を寄贈されている。
健康を取り戻した孤児たちは、
横浜港と神戸港からそれぞれ帰国の途についた。
「アリガト」の言葉と「君が代」の歌声を残して。
2002年に天皇皇后両陛下がポーランドをご訪問時、
晩餐会の会場にお着きになった時、
大統領に挨拶する前に会場入口の横にいらした
元「孤児」の皆さんの方に自ら歩みより
「お元気でしたか」とお声をかけられている。
80年ぶりの再会である。
詳細な事実を書いておられるので、ぜひご覧いただきたい。
PHP Online 衆知
ポーランド孤児を救え!〜日本とポーランドの
友好を育んだ物語を多くの人に伝えたい
日露戦争で、日本が勝利したことは
当時帝政ロシアに圧力を受けていたヨーロッパの国々が
等しく喝采を上げたことは紛れもない事実であった。
第一次世界大戦以前、
帝政ロシアの圧迫により約5万人のポーランド人が
シベリアに流刑されていた。
さらに、第一次世界大戦のため、
ドイツとロシアの間に位置するポーランドは戦場ともなり、
多くの国民がシベリアに流民となって移住していった。
しかし、ロシア革命とそれに続くロシアの内戦のため、
シベリアの荒野を彷徨い、
あるいは餓死し、病死し、凍死していった。
1919年ウラジオストックにいたポーランド人は
「ポーランド救済委員会」を設立し、
シベリアに出兵していた米英仏伊日に孤児の救済を依頼したが、
それに応えたのは日本だけだった。
依頼を受けてわずか17日後に決断し、
日本赤十字社と軍部(陸軍のみ)が協議し、
救出作戦を立案実行した。
軍部としては、皇室が日本赤十字社の後ろ盾になっていたので、
無碍に断ることも出来なかったという事情もあった。
シベリアの陸軍は、
ゲリラなどと戦いながら一つ一つの村を訪ね、
ポーランド人の情報を集め、
一人ひとり抱きかかえるようにしてウラジオストックに連れて帰り、
第1回目として1920年7月下旬から数次にわたり日本へ送り始めた。
敦賀から東京へ。この年は都合375名。
第2回目は合計390名を敦賀から今度は大阪へ送った。
この時、子ども10人に一人の割合でこども達を安心させる為に
ポーランド人の大人も同伴させているのも、素晴らしい配慮だ。
当時の日本は朝野をあげて暖かく迎え、
多くの慰問品・寄贈金が寄せられ、
慰安会も何度も開催された。
不幸なことも起きた。
こども達から腸チフスを感染してしまった、
看護師の松澤フミさんが他界されている。
皇后陛下も子供達と親しく接せられ、
お菓子代として多額のお金を寄贈されている。
健康を取り戻した孤児たちは、
横浜港と神戸港からそれぞれ帰国の途についた。
「アリガト」の言葉と「君が代」の歌声を残して。
2002年に天皇皇后両陛下がポーランドをご訪問時、
晩餐会の会場にお着きになった時、
大統領に挨拶する前に会場入口の横にいらした
元「孤児」の皆さんの方に自ら歩みより
「お元気でしたか」とお声をかけられている。
80年ぶりの再会である。
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