2018年06月06日
仲良きことは 親日 その12 ブルネイ 1年で国を変えた男
約44,500米ドル。
アジアで2番目に一人当たりの国民所得が多い国。
しかも、所得税がないので実質はもっとお金持ち。
世界でも有数の裕福な国。
人口40万人、面積は三重県程度。
ボルネオ島の北部にある。
ブルネイ・ダルサラーム国。
イギリス軍を追い出し日本国ブルネイ県にしていた日本から、
1942年木村強という宮城県出身の41歳の知事が赴任してきた。
県とはしていたが、
国王の権限など国のありようはそのままにしていたので、
木村は国王に接見し「秘書」を一人つけてくれるよう要求した。
やって来た「オマル」という26歳の青年は、
イギリスがそうだったように、
日本の石油搾取のために案内させられると思っていたが、
予想に反し、木村は貧しい村々を案内させた。
木村がしたことは、
豊富なゴムの木があることを知り、軍の資金でゴム工場を造り、
その利益をインフラ整備に充てた。
また、大規模農場を造り、共同作業をさせることで、
ブルネイ人同士の繋がりを深め、皆が豊になる道を示した。
ブルネイ人を植民地政策の奴隷のように扱わないことに
反発した部下には
「我々日本人の言動や行いが、後世に笑われるようなこがあっては、
決してならない。それを我々は肝に銘じるべき。
大事なのは今じゃない、未来だ。
目先の利益を欲しがり、搾取などすれば、
ブルネイの人との信頼関係は二度と築けない」
と諭している。
この辺り、4月23日に書いた杉原千畝、
4月26日の樋口季一郎、
5月18日の井本氏と同様、
判断の基準が「人道(ひとのみち)」を最優先とし、
政府や軍の指示命令は重視されていない。
このような言動を側でみていた「オマル」は絶大な信頼をよせ、
ブルネイの人々から信頼を得た。
次に木村は、首狩り族と言われ、
多数派の王家も含むマレー系から敬遠されていたイバン族からの信頼も得て、
王家とイバン族の関係改善を促し、
それによって他部族も倣うことになり、
バラバラだった多民族が一つのブルネイになった。
1年後、国の基礎を築いた木村はブルネイを去る。
「ブルネイにはわずか1年くらいしかいなかったが、
現地人の幹部が男泣きに泣いているのを見て、私も泣いた。
政府の幹部も見送って別れを惜しんでくれるのを見て、
これほど信頼してくれていたのかと思って、
うれしい気持ち、有り難い感情、また、寂しい感情が錯綜して、自分も泣いた。
私の1年間が少しでも役立ったのかと、
内心満足し、ほっとした感じになった」
国王みずから来日し探した木村が、
後年やっとみつかり、ブルネイを去ってから22年後、
「22年前の恋人に会うような種々の感情、
空想を胸に抱き心臓の鼓動を抑え機上の人となった」
木村は、懐かしいブルネイに。
その木村を迎えた新しい国王は22年前のあの「オマル」だった。
前国王は自分の弟を秘書にしていたのである。
そして、ブルネイは約束どおり、自分達の手で立派になっていた。
木村が描いていた「未来」。
ブルネイで産出する天然ガスのほとんどは日本に輸出されている。
2011年国王(オマルの息子)は100万ドルの義援金を、
国民は2400万円と「寄せ書き」を送ってくれている。
そして、何より日本と日本国を好きな人々がいる。
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