2018年05月21日
仲良きことは ハワイにおける親日の原点
世界中で観光地としてのハワイを
嫌いな人はそうはいないだろう。
日本人も大好きで「アメリカに行ったことがある」
と言っても「ハワイだけ」という人が多いのではないだろうか。
小生もその一人である。
今回はハワイと日本との関係の原点を確認しておきたい。
ハワイの国章 カラウニア国王
ハワイ王国と日本は
1867年に日布親善協定を締結して外交関係を樹立した。
1868年には日本から民間の第1号移民団153名がハワイに渡った。
これは明治元年に相当するため、
彼らはワインではないが「元年者」と呼ばれている。
1881年、世界一周旅行の最初の訪問国として来日した
カメハメハ一世から七代目の国王カラカウアは明治天皇に謁見し、
日本とハワイの連邦化を目指し5つの提案をした
(1)日本・ハワイの連邦化
(2)日本・ハワイ間のホットライン敷設
(3)日本主導によるアジア共同体の創設
(4)カイウラニ王女と山階宮定麿王の縁談
(5)同じ有色人種である日本人のハワイへの移民
(当時のハワイは西欧からもたらされた疫病により、
原住民の人口が激減していた)
しかしながら、
米国に配慮した日本政府は(5)以外はことわってしまった。
官製の移民の数は1885年から1894年まで続き、
総計29,339人に達した
ハワイの人たちは、
日本というものをどうして知り得たのだろう。
ペリーの目的の一つは捕鯨船への補給のための開港だった。
アメリカはハワイを捕鯨船の基地にしている。
船員にはハワイ人も雇われていただろうし、
アメリカの船員からのお土産話もあったのだろう。
それは、日本は信頼するに足る国だという情報だったに違いない。
1893年に起きたアメリカ系ハワイ人達のクーデターの際には、
明治政府は「在留邦人保護」を名目として、
巡洋艦「浪速」(艦長:東郷平八郎大佐)、
帆走コルベット「金剛」をホノルル港へ派遣し、
米艦ボストンの真横に投錨し、
砲身をクーデター一味の根城の議会に向けたままにして新政権を牽制した。
これは王国政府側からの要請であったという説もあり、
それを裏付けるかのように東郷は新政権を完全に無視し、
リリウオカラニ女王の側近とのみ接触している
その後は、アメリカの巧みな政治的攻略にさらされて、
王国は徐々に力を失くし、
1894年7月4日ハワイ共和国の成立が宣言され、
事実上ハワイ王国は滅亡した。
小生は、カラカウアの5つの提案が30年後だったら、
どうなっていただろうか、と夢想の世界に遊んでみるのである。
真珠湾攻撃はなかったかもしれない。
しかし、日本からの移民はハワイで成功するものも多く、
先年にはハワイ国際空港が
ダニエル・ケー・イノウエ国際空港と命名された。
日本人として誇らしい。
世界最大の旅行口コミサイト【トリップアドバイザー】
嫌いな人はそうはいないだろう。
日本人も大好きで「アメリカに行ったことがある」
と言っても「ハワイだけ」という人が多いのではないだろうか。
小生もその一人である。
今回はハワイと日本との関係の原点を確認しておきたい。
ハワイの国章 カラウニア国王
ハワイ王国と日本は
1867年に日布親善協定を締結して外交関係を樹立した。
1868年には日本から民間の第1号移民団153名がハワイに渡った。
これは明治元年に相当するため、
彼らはワインではないが「元年者」と呼ばれている。
1881年、世界一周旅行の最初の訪問国として来日した
カメハメハ一世から七代目の国王カラカウアは明治天皇に謁見し、
日本とハワイの連邦化を目指し5つの提案をした
(1)日本・ハワイの連邦化
(2)日本・ハワイ間のホットライン敷設
(3)日本主導によるアジア共同体の創設
(4)カイウラニ王女と山階宮定麿王の縁談
(5)同じ有色人種である日本人のハワイへの移民
(当時のハワイは西欧からもたらされた疫病により、
原住民の人口が激減していた)
しかしながら、
米国に配慮した日本政府は(5)以外はことわってしまった。
官製の移民の数は1885年から1894年まで続き、
総計29,339人に達した
ハワイの人たちは、
日本というものをどうして知り得たのだろう。
ペリーの目的の一つは捕鯨船への補給のための開港だった。
アメリカはハワイを捕鯨船の基地にしている。
船員にはハワイ人も雇われていただろうし、
アメリカの船員からのお土産話もあったのだろう。
それは、日本は信頼するに足る国だという情報だったに違いない。
1893年に起きたアメリカ系ハワイ人達のクーデターの際には、
明治政府は「在留邦人保護」を名目として、
巡洋艦「浪速」(艦長:東郷平八郎大佐)、
帆走コルベット「金剛」をホノルル港へ派遣し、
米艦ボストンの真横に投錨し、
砲身をクーデター一味の根城の議会に向けたままにして新政権を牽制した。
これは王国政府側からの要請であったという説もあり、
それを裏付けるかのように東郷は新政権を完全に無視し、
リリウオカラニ女王の側近とのみ接触している
その後は、アメリカの巧みな政治的攻略にさらされて、
王国は徐々に力を失くし、
1894年7月4日ハワイ共和国の成立が宣言され、
事実上ハワイ王国は滅亡した。
小生は、カラカウアの5つの提案が30年後だったら、
どうなっていただろうか、と夢想の世界に遊んでみるのである。
真珠湾攻撃はなかったかもしれない。
しかし、日本からの移民はハワイで成功するものも多く、
先年にはハワイ国際空港が
ダニエル・ケー・イノウエ国際空港と命名された。
日本人として誇らしい。
世界最大の旅行口コミサイト【トリップアドバイザー】
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7680103
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック