巷には、
スピリチュアル本があふれています。
スピリチュアルを学び、
視野を広げることは、
大変素晴らしいことですが、
正統派スピリチュアル以外の本を読めば、
かえって、
人生に迷いが生じたり、
惑わされたりします。
『世界のスピリチュアル50の名著 エッセンスを知る』(著者 T.バトラー=ボードン 訳者 鈴木尚子 ディスカヴァー・トゥエンティワン)
に掲載してある、
エックハルト・トール氏の著書を読むことをおすすめします。
エックハルト・トール氏は、
ディーパック・チョプラ医学博士やウエイン・ダイアー心理学博士の同志です。
共著 「DVDブック マインドとの同一化から目覚め、プレゼンスに生きる〜『覚醒』超入門〜」(著者 エックハルト・トール / ディーパック・チョプラ 特別ゲスト ウエイン・ダイアー 訳者 采尾英里 ナチュラルスピリット)
もあります。
3人共、世界屈指のスピリチュアル・マスターです。
自分の中に
『二人の自分』
がいることについて、
エックハルト・トール氏は、著書
『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』
(監修者 飯田史彦 訳者 あさりみちこ 徳間書店)
の中でこう述べています。
(14頁〜18頁)
「 三十歳になるまで、
わたしは、
たえまのない不安やあせりに、
苦しんでいました。
自殺を考えてしまうことも、
たびたびでした。
いまになってみると、
まるで、
その頃の自分の生活は、
見知らぬ他人の人生か、
自分の過去生のようにさえ思えるのですから、おかしなものです。
わたしが二十九歳になってまもない、
ある晩のことでした。
夜中に目を覚ますとわたしに
『絶望のどん底だ』
という思いが、
おそいかかってきました。
こんな気持ちになることは、
当時のわたしにとって、
珍しいことではありませんでしたが、
この時ばかりは、
ふだんにもましてその絶望感は強烈でした。
死んだように静まりかえった夜に、
暗闇の中で、
ぼんやりとうかびあがる家具の輪郭、
遠くからかすかに聞こえてくる、
汽車の音・・・・・・
なにもかもが不自然で、
氷のように冷たく感じられました。
そして、
あらゆるものの存在が、
無意味なことのように思われました。
この世のすべてを、
呪ってやりたいほどでした。
しかも、
このわたし自身こそが、
もっとも無価値な存在のように感じていました。
『こんな悲惨な人生を歩むことに、
いったい、
なんの意味があるというのか?
どうして、
これほど苦しみながら、
生きていかなければならないのか?』
わたしの中にある
『生きよう』
という本能は、
『もう存在したくない、
いっそのこと消えてしまえたらいいのに』、
という悲痛な願いに押しつぶされていたのです。
わたしの頭の中を、
『こんな自分と生きていくなんて、
まっぴらごめんだ!』
という思いが、
ぐるぐると回っていました。
すると突然妙なことに気づいたのです。
『自分はひとりなのか、
それともふたりなのだろうか?』
こんな自分と生きていくのが嫌だとすると、
『自分』
と
『自分が一緒に生きていきたくないもうひとりの自分』
という、ふたりの自分が存在することになります。
そこでわたしは自分に言い聞かせました。
『きっと、このうちのひとりが、
【ほんとうの自分】なのだ』
この時、わたしは、
頭の中でつぶやいていたひとり言が、
ピタリとやんでしまうという奇妙な感覚に、
ハッとしました。
(中略)
運命の出来事が起こったあの夜、
わたしの苦しみは、
限界に達していました。
そのため、
わたしの意識は、
『自分は不幸で、どうしようもないほどみじめなのだ』
という思いを、
完全に捨て去るしかありませんでした。
このような思いは、
もともと、
思考のでっち上げにすぎません。
この捨て去り具合があまりにも徹底的だったので、
『にせの自分』
はとつぜん空気を抜かれてしぼんだ風船のように、
ぺしゃんこになってしまったのです。
そこに残ったものこそが、
『わたしの本質』
であり、
永遠の存在である
『ほんとうの自分』
なのでした。
その時のわたしは、
人間、生き物、創造物など、
どんな呼び名でもくくることのできない純粋な
『意識』
でした。」
エックハルト・トール氏が語る純粋な意識こそが、
『真の自分』
則ち
『真我』
です。
私たちの心の中に
『エゴ(小我)』
と
『真我(大我)』
の二人の自分が存在しています。
『エゴ(我)』
を取り除き、
『真我』
を発現させれば
『神(造物主)』
に近づけます。
『我』は
造物主がつけてくれたものなので全否定する必要はありません。
『真我』を発現させるために、
『我』
をコントロールすればよいのです。
では、
具体的にどうすればよいのでしょうか?
エックハルト・トール氏は前述の本の中で、
真我を発現させる秘訣を、
次のように述べています。
(30頁〜35頁)
「 自由への第一歩は、
自分の思考は、
『ほんとうの自分』
ではない、
と気づくことからはじまります。
そう気づくと、
『思考を客観的にながめる』
ことができるようになります。
思考を客観的にながめると、
高次の意識が活動しはじめます。
思考をはるかに超えた、
果てしない
『知性の世界』
が存在することや、
思考はそのごく小さな一面にすぎないことにも、
気づきはじめます。
さらに、
『ほんとうにかけがえのないもの』
が、見えはじめます。
それは、
思考とは別の源泉からわき上がる
『美しさ』、
『愛』、
『創造性』、
『喜び』、
『心の平安』
です。
その時あなたは、
『わたしはやっと目を覚ましたのだ!』
と思うはずです。
(中略)
思考を客観的にながめていると、
その行為をしている、
『ほんとうの自分』
の存在に気づきます。
『ほんとうの自分』
に気づくと、
意識は新たなレベルに到達します。
勝手気ままに活動していた思考はパワーを失い、
『ほんとうの自分』
のしもべになります。
これが、
無意識的な思考活動を終わらせる第一歩です。
思考がおしゃべりをやめると、
『無心状態』
が生まれます。
最初のうちは、
無心状態は、
ほんの数秒間しかつづかないかもしれませんが、
心がけ次第で、
だんだんと、
長くつづくようになります。
無心状態の時には
『心の平安』
を実感するはずです。
これが、
ふだんは思考の雑音によってかき消されている、
『大いなる存在』
との一体感なのです。
この状態は、
本来人間にとって、
ごく自然な状態であるはずです。
経験をつめばつむほど、
平安の度合いは、
よりいっそう深まっていきます。
この度合いには、
限界がありません。
しかも、
同時に自分の内奥から、
魂の喜びがわき上がるのを感じるでしょう。
これが
『在ること』
の喜びなのです。
(中略)
『思考を客観的にながめる』
以外にも、
無心状態をつくる方法が、
いくつかあります。
意識を100パーセント
『いま』
に集中させて、
思考活動を遮断するのも、
そのひとつです。
意識のすべてを
『いま、この瞬間』
に向けてみましょう。
そうすれば思考活動をストップでき、
意識が鋭敏であると同時に、
考えごとをしていない
『無心状態』
になれます。
このエクササイズは、
満足のいく結果をもたらすはずです。
また、
これが瞑想の極意でもあるのです。 」
エゴをコントロールするための鍵は、
思考を俯瞰することです。
今何を考えているのかをチェックするクセをつけましょう。
自分を見ている自分を意識するという感覚です。
過去に囚われていないか、
未来を思い煩っていないか、
今考えていることは建設的・発展的・創造的なものか、
つねにチェックしましょう。
今に意識を集中する訓練をしましょう。
エゴを抑える技術について詳しく知りたい方は、
『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』
(エックハルト・トール著 徳間書店)
をぜひ読んでください。
わかり易く説かれています。
非常に評価の高い名著です。
超おすすめです。
(推薦図書)
『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』
(監修者 飯田史彦 訳者 あさりみちこ 徳間書店)
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(参考図書)
『世界のスピリチュアル50の名著 エッセンスを知る』
(著者 T.バトラー=ボードン 訳者 鈴木尚子 ディスカヴァー・トゥエンティワン)
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