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2021年04月12日

陰符経3 術篇

 陰 符 経


三、 術 篇

耳が聴こえない人は、耳が聴こえる人より、より聴くことができる。

目が視えない人は、目が視える人より、よく視ることができる。

目先の利にとらわれることなく、一なる源を知る人は、知らない人より十倍の兵士を指揮することができる。

日夜、常に自分を省みている人は、そうでない人より万倍もの兵士を指揮することができる。

心が生まれるのは物においてである。心が死ぬのも物においてである。

心がうまれたり、死んだりする、その機は目の働きにある。

天の下す恩は、それが恩であると分からないような大恩を下すのである。

その素早いことは疾風のごとくである。

本当の楽しさ(至楽)の本質とは、余裕(余)を持つことである。

本当の心の安寧(至静)の本質とは、多くを求めない(廉)ことである。

天はまったく自分のことだけを考えていて(至私)も、これを実際に行う時には完全に公のための行為(至公)となっている。

こうした天の働きを捉えるには気を制御しなけらばならない。

死は生から生まれる。生は死から生まれる。

恩は害から生まれる。害は恩から生まれる。

愚かなる人は天地自然の現象をただ聖なるものとするばかりであるが、私はその理をよく究めようとする。

人は愚かな人を聖なる人を思うが、私は愚かならざる人を聖なる人と考える。

人は奇異なことを聖なるものと考えるが、私は奇異でないものを聖なるものと考える。

それは水の中に沈んだり、火の中に入ったりすれば死んでしまうのと同じである。

自然の道は「静」である。「静」であるからこそ天地は万物を生むのである。

天地の道は浸(しん)である。そうであるから陰陽は盛んに働くのである。

陰陽が互いに影響しあうことで変化が生ずる。そうであるから聖人は自然の道を知って、それに違うことのないように物事を定めたのである。

至静の道は、騒がしいとか、静かであるとかいうものではない。

至静は、不可思議なもので、
八卦も、甲子も、神のお告げも、霊界からのお知らせも、
その全てが至静から生み出されているのである。

至静とは、陰陽相勝の術であり、
それがいろいろな力のシンボルを生むのである。


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