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2024年11月13日

草津興(興車電)





草津興(興車電) ←←押す

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秋の日暖かい日 元気はよく楽しく
草津の川に遊ぶ電車が通過川の
道 花世のはかせまの世 車庫の
家 夕方には トンボが訪ね 電
車の音を聞く 川沿いの電車
夕日受け 狼川の屋の
ひばせみの屋


滋賀県草津市狼川、ここに住んでいました。
国道一号線と直交する川です。この川に狼
がたくさんいて、私家にも住んでいました。
かしこの狼という。頭のよい人にも懐く狼
です。懐かしい場所です。






2024年11月11日

冠語(かんご、かんむりご)

冠語を、そうきょう語という。御所言葉という。

「ターユー、ユージレイ」、大阪の城の
、かいざきさきの言葉、大阪城の言葉。浪速
ゆうさら、という浪速の冠語という。冠語を
使う大阪城とそ。秀頼の・ゆみぜまさ、という。
「ゆみぜまさ」が、そうきょう語のこと。
秀頼プーシラともいう。大阪の城の御殿の中の
言葉という、そうきょうブースーの・御殿かりすら、
という、そうきょう語という。

ターユーという、相手を指していう。ユージラス・
オッキサとそ。大阪城より見る夕焼けの言葉。
これを、にとめ、という、我目にとめる言い。
ニトレ遣の言い。飛馬(ひゅうま)の言い。

飛馬の池という。これを、にとめ、という池の
ことという。大阪城がうちの家である。それを、
にとめ、という。大お婆さんと住んだ、大阪城
という、私が住んでいた家という。おしゃまる
れせら
、ともいう、本町、福島川の開拓という、
本町の川、福島の川、作ったこととそ、おしゃま
るれせらの川という。これが、にとめの言いの、
おしゃま、という。大阪御叔母御上のお教えとそ。
私の好きな大阪淀、中之島の辺り言いとも。
おしゃまってすの家という、中之島の公会堂とそ。
私の家やてな。御叔母御上の家である。

 そこのユーカリという、アイヌきぼし、という、
加藤清正の山の場とそ。アイヌが九州にいたという。
ユーカリ・びぬさらり・きよさみ、という、阿蘇の
言葉という、ユーカリという。これが大阪の城の
来訪という、アイヌ私が大阪城へ住んだ時のという。



2024年11月10日

そうきょう語(東大語、ゆうらじの言葉)

歌語を御所言葉といいます、冠語、靴語、そうきょう語
ともいいます。

ミーファーキョウレクこうす
  私は     京都へ  行きます

これが、そうはなれるきす、という、御所の、はなれるかり、
という、「かり」が言葉のこと。

御所で生活をする、私を、ミースルーとも言います。
「ミースルー、ゆーし」という、「私が生活をする」
の意。

この御所、京都御所です。京都の、いぽせみすり、と
いう、京都の御所の言葉です、いぽほんすめ、ともいう。
東京和宮、名古屋こうきり、大坂みらすれ、
横らっきすき、大分もうせれ、かごるえれんかり、
という、各地の御所の言葉です。
青山御所という、丹波篠山の青山という、一番
古い青山です。この青山の言葉を、たんちそ、と
いう東京青山の呼びという。青山の和をとる言葉
という。青山れっとす、という、青山の言葉とそ。

 これが東京青山の家の言葉という、青山御所に
いた私です。この青山御所から通う東京大学と
いう。当時、さがりさ、という、東大のかわれく、
という、さがりさの川という、大きな川が流れて
いた東大という。ここの言葉を、さがりす、とも
いう、東京大学そうきょう語という。
「いろるろ」という、人に会った時の挨拶。
朝ならば「おはよう」の意。
その頃の東大という。

 川が流れ、やまけるら、という、りよっする・
うみらじ、という、海のような川という。

東大を、ごゆじら、という、東大総長の言葉という。
東大への通学、ロボットで通学する、ごぺくら、
という。ごぺくらに、引かれる馬車という。
馬には引かせない馬車という。ロボットに
弾かす馬車のような車という。
馬には乗らない私です。乗る時には、自動車、
電車に乗る。馬は乗物ではないという。
極めて常識的という。
生物と乗物との区別がつかない、私は区別が
つきます、だから、生物には乗らない、乗物に
乗ります。機械で、ロボットで東大へ通学して
いました。水素爆弾を共として通学しており
ました。その頃の言葉です。

「ミーファーラ、セール」、「私が水戸をいう
、セールという」ミーファーの水戸行という。
大きな川がある日の東大の・がんたきれす、と
いう言葉とそ。水爆を「せまり」という。

「ミーファー、るせる、せまり」
そういうことです。
「Yo hapsai rootari」 米語そうきよう語
水爆持参のこと。ルータリ。

 江戸城から外へ出た所に私の家があった頃。
今でもありましょうなが。快郷江戸郊外。
かいきょう・えどこうがいといいます。
そこに私の家があります。今はどうなって
いるか、今でもありましょうなが。

「ミーファー、ターレラ、そうみ」  大阪行き
「ターペス、ロックン」とも。 渡りの言葉。
歌語です。大阪を「ター」という。今の
中国語の「ターパン」の「ター」とそ、「大」
大阪をターという、ゆそりるの鳥羽、「ゆそりる」
が、渡し、渡りの意。ターユジールとそ。




2024年11月09日

そうきょう語(御所言葉)

 言葉に、二つの種類があります。
一つが、通常語
二つ目が、そうきょう語、
 また、冠語、靴語、歌語・・といいます。
 聞けば、歌を歌っているような感じの言葉
 、歌語といいます。この言葉を御所言葉と
いいます。

外国語にも、この、そうきょう語、通常語があります。
英語、仏語、中国語・・・等、皆、通常語と
歌語があります。

私のことを歌語で、そしやら、といいます。
また、。いたしまらの言い
の言葉で、そうきょう語、歌語といいます。
相手のことを、みたゆ、といいます。

これを、「ミーファー、ラーブ」と言います。
そうきょう語の、みいるりらる、という、
言葉のいえという。
私を、ミーファーといいます。
相手を「ターユー」といいます。
中国語のような響きの言葉です。

 歌語にとる言葉とそ。歌に使う言葉とも
いいます。歌語の「かりるさ」という、歌詞
のこと。
 だんだんに説明していきましょうなが。







インド色想

インド色想 ←← 押す

tpuroku56-01p.jpg


【歌詞解説】
インド色想御方と風呂へ入った 東京の
新宮殿 浦島のふれ 額印 入ってる
和宮へ行って話すこと 花インドの宮
あがりの大きな塔に田島晴の日 いた
ことの話之と浦島のや 生きる日の
オーストラリア行の夢




テーしむさり

歌詞
テーさんと入る風呂の中 私の家の前
少し新しい頃 思い出は家の前の道
風呂があった道 思い出の道 私の道   ←←押す
あのテーさんはどうしておられるか          
懐かしく 胸の中 裸のこと思う風呂
テーさんのこと


歌詞解説
 テーさんというムガール帝国の王女。こ
の王女と一緒に入った風呂、頭布の・
こいきすれ、という、アラビア風の格好という。
テーきすらる、という、インドの格好とそ。
このテーさんと一緒に入る風呂という、
東京新宮殿の風呂。
当時、私の家の前にもあった風呂とそ。
懐かしの風呂という、後、トランプさん
と入る風呂とそ。大きな体のトランプ
さんという。テーさんとも入られた人とそ。

風呂衣装を着て、風呂へ入る。湯に浸かる
時も風呂衣装を着て浸かる。そういう姿です。
御所湯でしょうなも。



2024年11月04日

熊川宿


熊川案内2.jpg

熊川案内.jpg

 福井県若狭から京都への鯖街道、その途
中、京都奥大原から10キロ程、熊川宿
小さな村があります。山奥の中の村。
番所があります。私が小さい頃、住んで
いた所です。
 数年前同僚と訪ねました。昔の光景が
ありました。道の駅もあります。
赤い道。

熊川3.jpg
鯖街道主要道

鯖街道.jpg
鯖街道、メインストリート

熊川番所.jpg
番所

番所.jpg


熊川神社.jpg
神社

熊川餅の駅.jpg
道の駅


そんな感じの処の歌。いか飛び。 ←←押す




花風呂(しんかすり)

 花風呂(しんかすり) 

君 浴衣を着てそのまま湯船に浸かる
花の湯舟は 富士みる景色 花男
花女と共浸かり これぞ世の男と女
花景色映え 湯けむりもうもう立ち上がる
新宮殿の夜の花湯 気持ちいいね

 風呂浴衣が纏わりついて 見える
 君の身は湯舟の中の花姿 美しき
 体の線 みとれいる これぞ世の
 男と女 君が目を付し私の体を探り
 見る 新宮殿の 夜の花湯 
 恥ずかしいね

目と目があえば 君と私は見つめる 
肌と肌 触れ合う 富士見るなかの
湯舟にはきれいな声 話し合う これぞ
世の男と女 見つめあう目 湯の花
私と君の花 新宮殿の夜の花と
思う時ね
20241026

東京江戸城新宮殿の風呂
彼女と入る、楽しい時です。



2024年11月03日

和歌山県・友ヶ島野奈浦

 和歌山県・友ヶ島野奈浦 ←←押す

和歌山友ヶ島.jpg
着いた船着桟橋


海 近くの島へ渡る
御空は晴れて 共にきた人に
名前を呼ばれて 相席にご飯を
食べ 故郷の話 船に乗り
着いては 『ここが故郷ですか』
松の木が植わる野奈浦桟橋
訪ね レンガの里


和歌山の離れ島、友ヶ島へ来ました。
明るい晴れた日で、船も出ました。
昔、私が住んでいました。マムシが、
風呂へ行く、私をにらんで、道に
両際に並んでいました。私は大急ぎで
その場を駆け抜けました。
 リンクの楽譜に入れた写真、私が
住んでいた所です。風呂はこれから
少し離れた所。マムシがいた所です。
今はいないです。
 そんな思い出のある友ヶ島、よい
所ですね、皆様も、行けたら行って
下さいませ。
 リンクのものは、名監督の造りです。



白高山

  白高山  ← ← 押す 

白雪降り 寒い日のこと 私の古い記憶
家から外見れば白い雪降り降る 里高山
外へ出れば白い顔 白い手 空白く 空一面
白々 庭の花 鉢の木も白い化粧 ここ高山
城下の中橋たもと おさなよい頃の思い出
ふとかえれば 匂いは木寄り

古都故郷 変わらずの里 切れ切れ浮かぶ
おさな時思い出 消え浮かぶ
船帆 中橋たもと港 船美し 消えていく
再び見えてくる 白雪降る 織り白
飛騨づくし 街並みも白い化粧 ここ高山
城下の さん町通り 懐かしい 白雪浜に
白い門のお屋敷の覚え

大きな白の染まり行く丘 だんだん積る
橋は白欄干 紅の橋たもと 降り織り
雪高山 御爺さんと御婆さん 火鉢に
おこた中 『帰りたか』と お声の
微笑みにおいられた 思い出は
ここ高山城下の 蘇り 裏桟橋に
清い粉雪 障子窓の景色 思い出す。


 高山さんまち通り、中橋がある町。
さんまと通りの並行の道、御結婚式を
あげられた御叔父御上、御叔母御上、
それに、御声をあげられ、口ずさまれた
「白い化粧」という。川に船が浮かんで
いた頃です。中橋たもとの港です。
 あれから数十年、いっておりませんが、
お元気のことと存じます。中橋たもと、
私が住んていた所です。つい、会社の
慰安旅行で、数年前いきました。
変わることなく、昔のままの高山。
ある旅館のお手植えの松、コオロギが
鳴く、陣屋のいちいの木、どちらも
私のお手植えです。懐かしいことです。



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