歌語を御所言葉といいます、冠語、靴語、そうきょう語
ともいいます。
「
ミーファー、
キョウレク、
こうす」
私は 京都へ 行きます
これが、そうはなれるきす、という、御所の、はなれるかり、
という、「かり」が言葉のこと。
御所で生活をする、私を、ミースルーとも言います。
「ミースルー、ゆーし」という、「私が生活をする」
の意。
この御所、京都御所です。京都の、いぽせみすり、と
いう、京都の御所の言葉です、いぽほんすめ、ともいう。
東京和宮、名古屋こうきり、大坂みらすれ、
横らっきすき、大分もうせれ、かごるえれんかり、
という、各地の御所の言葉です。
青山御所という、丹波篠山の青山という、一番
古い青山です。この青山の言葉を、たんちそ、と
いう東京青山の呼びという。青山の和をとる言葉
という。青山れっとす、という、青山の言葉とそ。
これが東京青山の家の言葉という、青山御所に
いた私です。この青山御所から通う東京大学と
いう。当時、さがりさ、という、東大のかわれく、
という、さがりさの川という、大きな川が流れて
いた東大という。ここの言葉を、さがりす、とも
いう、東京大学そうきょう語という。
「いろるろ」という、人に会った時の挨拶。
朝ならば「おはよう」の意。
その頃の東大という。
川が流れ、やまけるら、という、りよっする・
うみらじ、という、海のような川という。
東大を、ごゆじら、という、東大総長の言葉という。
東大への通学、ロボットで通学する、ごぺくら、
という。ごぺくらに、引かれる馬車という。
馬には引かせない馬車という。ロボットに
弾かす馬車のような車という。
馬には乗らない私です。乗る時には、自動車、
電車に乗る。馬は乗物ではないという。
極めて常識的という。
生物と乗物との区別がつかない、私は区別が
つきます、だから、生物には乗らない、乗物に
乗ります。機械で、ロボットで東大へ通学して
いました。水素爆弾を共として通学しており
ました。その頃の言葉です。
「ミーファーラ、セール」、「私が水戸をいう
、セールという」ミーファーの水戸行という。
大きな川がある日の東大の・がんたきれす、と
いう言葉とそ。水爆を「せまり」という。
「ミーファー、るせる、せまり」
そういうことです。
「Yo hapsai rootari」 米語そうきよう語
水爆持参のこと。ルータリ。
江戸城から外へ出た所に私の家があった頃。
今でもありましょうなが。快郷江戸郊外。
かいきょう・えどこうがいといいます。
そこに私の家があります。今はどうなって
いるか、今でもありましょうなが。
「ミーファー、ターレラ、そうみ」 大阪行き
「ターペス、ロックン」とも。 渡りの言葉。
歌語です。大阪を「ター」という。今の
中国語の「ターパン」の「ター」とそ、「大」
大阪をターという、ゆそりるの鳥羽、「ゆそりる」
が、渡し、渡りの意。ターユジールとそ。