法華経の如来寿量品に「自我得仏来」との言葉があります。
読み下しとしては、「我、仏を得てより来」となります。
「私が悟りを得てから」という意味です。
「我」とは、法華経ですから「釈尊」です。
この「自我得仏来」を、日蓮は御義口伝において、より実践的に読み込もうとします。
過去の釈尊のお話として法華経を捉えるのではなく、我々の生き方に活かす捉え方をしようとします。
我を法身如来、仏を報身如来、来を応身如来と捉え、この三身の我仏来は自得なりと言います。
悟り、智慧の境地は、自得するものであるとの指摘です。
自分で得ていく、自分で獲得していくということです。
それも、「自ずから得たり」というように、元々自分自身の中にあるということです。
教えられてどうにかなるものでもなく、助けてもらえるということでもなく、自分から、あらゆる物事を得ていくという姿勢が必要であることを、この「自我得仏来」の言葉から学ぶことができます。