「たとえ政府が正しくても、いったん世論が機嫌を損ねると、政府が正しいかどうかはどうでもよくなってしまうのである」(トニー・ブレア「私の履歴書」日本経済新聞 平成24年1月1日付)
世論とは民衆のことと思いますが、トニー・ブレアは、民衆の絶大なる権力に気付いている有能な政治家だったようですね。
首相という最高権力者であっても、民衆の機嫌を損ねると自分が正しくても為す術がないということです。
これは、現代だけの話ではなく、マキァヴェッリが「結論として述べておきたいのは、ただ一つ、君主は民衆を味方につけなければならない」(『君主論』池田廉訳 中公文庫 第9章)と言うように、中世の時ですら、民衆には絶大な権力があったということですね。
民衆に絶大な権力があるということは、いいことのようにも思えますが、危なっかしいともいえます。
トニー・ブレアの指摘のように、民衆が正しい正しくないではなく、機嫌がいいか悪いかで物事を判断していては、結局、民衆にとっても得るところはないでしょう。
中世と違い、現代は、より一層、民衆の権力の影響力が強い時代です。
民衆がいつまでもレベルの低い状態では、為政者は何もできないと共に、民衆の中から為政者になろうとする志のある人間も出てこないでしょう。
民衆ひとりひとりの地道な努力が善き政治を生むと思います。
政治に何かをしてもらうのではなく、政治に何かを与えるほどの民衆でありたいものです。
間違っても、政治にたかるようなみっともないことはしてはいけません。