毎朝、御書1ページの音読をしていますが、「撰時抄」の音読が終わりました。新版の御書で52ページありますから、52日かかったわけです。「撰時抄」は、御書の中でも長編の御書といってよく、読み通そうと思うと量が多いため気が重い感じがする御書ですが、1日1ページと決めて習慣化すると、あっさり読了したという感覚がするものです。
習慣化すると何事もいずれは終了、完了しますね。いい習慣をたくさん持つことが人生を豊かにすることといえましょう。
明日からは、「報恩抄」を音読するわけですが、「報恩抄」も「報恩抄送文」を含め、52ページですので、「撰時抄」と同じ分量です。
現在まで、「如来滅後五五百歳始観心本尊抄(観心本尊抄)」、「法華取要抄」と音読し、それから、「立正安国論」、「開目抄」、「撰時抄」を音読しました。次の「報恩抄」を含めますと、五大部と「法華取要抄」とを音読したことになります。五大部に「法華取要抄」を含め六大部とするのがよいのではと個人的には思います。
よって、「報恩抄」の音読が終了した後は、再び、「如来滅後五五百歳始観心本尊抄(観心本尊抄)」、「法華取要抄」と進めていきたいと思うのですね。とにかく、六大部を繰り返し音読するというのがよいですね。六大部の御書は、日蓮真筆であることが確実な御書であり、日蓮仏法の根幹ですから、この六大部を毎朝の音読に充てることは意義深いと感じます。偽書を音読してもしょうがないですからね。やはり、本物、骨髄に相当するものを軸に信仰するのが正しい道と思われます。