1924との記載のあとに、(大正13)年との記載があります。100年前は、まだ大正時代だったのですね。大正時代といえば、もう歴史の中での時代という感覚がありますが、ある意味、たった100年前が大正時代であり、令和の時代に生きる我々であっても、大正時代とは、そう遠くない時代であるのですね。
大きく歴史を考えますと、100年単位で歴史を考えることになるかと思うのですが、その100年前が大正時代というのは、我々は、大正時代と連なっている世代といえるでしょう。
大正時代は、昔のこととして簡単に片付けられない、我々と密接に繋がっている時代という感覚も必要でしょう。人間が変化するには、100年という時間が必要なように感じられます。現在の我々にしても、大正時代、昭和時代、平成時代の風情を十二分に残しながら令和の時代を生きているわけですね。
さすがに明治時代の風情、江戸時代の風情はなくなったといってよいと思いますが、現在のところ、100年単位で考えますと、大正時代は、まだ、歴史になっていません。ただ、あと2年8ヶ月ほど経過しますと100年前が昭和になりますから、その時に大正時代が歴史になったといえるでしょう。
意外と大正時代は身近であったと感じます。
しかし、佐伯祐三の年譜を見れば明らかなように、また、どの年譜、どの年表を見ても明らかなように100年前は大正時代というのは、動かしようのない事実ですが、100年前が大正時代と感じない理由は、「戦後」という考え方が大きく作用しているように思います。つまり、1945年(昭和20年)で歴史が一区切り付いたという感覚が染みついていると思うのですね。「戦前」は歴史の中に放り込んでしまっているようです。
しかし、1945年(昭和20年)は、日本が戦争に負けたという大きな区切りの年ではありますが、ある意味、ただそれだけというわけで、100年単位で歴史を考えますと、日本の敗戦もその100年の中の出来事のひとつに過ぎません。やはり、歴史は100年単位で見なければと思うのですね。
昨年のことでありましたが、関東大震災から100年ということで、関東大震災の特集があちこちでありました。このときも、関東大震災は大正時代のことですから、遠い昔という感覚があったのですが、まだ、100年しか経過していないのかと感じたものです。やはり、「戦前」は遠い昔のことという感覚があったのですね。
年譜、年表を見ますと、事実が書いていますので、まずは、事実を確認して、それから歴史認識を持つべきでしょうね。歴史に関し、「戦後」、「戦前」で安易に分断して考えることは誤りと感じます。「戦後」、「戦前」で日本は決して分断されておらず、継続している、繋がっているという当たり前の感覚を、事実に基づいて再構築することが肝要と思います。
そのようなことを考えながら佐伯祐三の絵を見ていますと、今年は佐伯没後96年であり、まだ100年が経過していないのですね。100年単位で歴史を捉えますと我々はこの100年の間に佐伯と同時代を生きているといえるわけで、佐伯祐三は同時代人といえましょう。しかし、あと4年経ちますと佐伯没後100年になり、佐伯祐三は歴史上の人になります。この4年は、貴重な4年のように思えます。同時代人として佐伯の絵を見ることができる期間です。やはり、100年で一区切りというのが妥当でしょうね。
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