『日蓮大聖人御書全集』新版が発刊されてから、約2年4ヶ月となりました。発刊されてすぐに「観心本尊抄」を読み、その後、1ページ目からの通し読みをして、読了しますと、ある意味、燃焼し尽くしたといいますか、御書を読もうと思わなくなるのですね。
時折、御書を読むのですが、継続的な読書とならないときがあるものです。時々読むという感じになるわけですね。
せっかく御書の新版が出ているのですから、毎日、御書を読んでみたいと考えました。あまり無理をすると、結局、続かなくなりますので、毎日1ページを読むのはどうかと考えました。
いきなり全編を読むと意気込むのではなく、まずは、五大部を中心にして読んでみたいと思った次第です。それも、黙読ではなく、音読してみたいと感じました。黙読では、なんとなく読み過ごすことがあるのですね。音読しますと、声に出さなければなりませんので、一字一句、ゆるがせにできません。
昨年の末頃から、「観心本尊抄」を毎朝、1ページ音読し始め、続いて「法華取要抄」を読み、その後、「立正安国論」と進み、現在「開目抄」下の途中まで読んでいます。その後は、「撰時抄」、「報恩抄」を読む予定にしています。
御書を音読する際、御書の新版ではなく、分冊版を使っています。御書新版ですと大部ですし、持ったときに重いのですね。分冊版ですと机がなくとも手で持って読むことができますので、非常に便利です。
御書新版だけでなく、分冊版も購入していたのですが、どのように分冊版を活用すればよいか、いまいち、いい方法が見つかりませんでした。そこで毎朝の1ページ音読をはじめようとしたところ、手に取りやすい分冊版ですと、読んでみようかという気になるのですね。やはり、ちょっとしたことですが、やる気にならないと何事もはじめにくいということがあります。
ただ、一旦、習慣化しますと、その後は、やる気に依存することなく、毎朝のルーティンとして、御書1ページの音読を続けることができます。ある意味、勤行のようなものですね。勤行では、法華経の方便品の十如是までと如来寿量品の自我偈を音読しますが、法華経だけでなく、御書も音読するという合わせ技で信仰を深めるのが良いのではと思います。
新版の御書は、ルビも多く、段落分け、句読点もきれいに施され、引用の部分は括弧でくくられており、読みやすいですから、音読にぴったりといえます。御書という宝があるわけですから、あとはそれを自分のものとする。つまり、血肉化、骨髄化することが肝要ですね。