日蓮は広・略を捨てて肝要を好む。いわゆる、上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり。「九方堙が馬を相するの法は玄黄を略して駿逸を取り、支道林が経を講ずるには細科を捨てて元意を取る」等云々。
『日蓮大聖人御書全集』新版 156頁 (法華取要抄)
ここで「支道林」という学僧が出てきますが、中国東晋の人であり、「支遁」ともいわれ、岩波『仏教辞典』第二版では、「支遁」で出ています。314年から366年まで生存しており、「般若経」、「維摩経」の解釈で名声を博し、同じく中国東晋の書家の王羲之とも交流があったということですから相当な人であったことが窺われます。
支道林は、経を講ずるにあたって、細かいところに拘泥するのではなく、元意を捉えていたというのですね。老子、荘子の思想にも通じていたということですから、その学識を踏まえての解釈であり、中国人には分かりやすかったのでしょうね。
日蓮も同じく、仏教の細かいところではなく、根本となる妙法蓮華経の五字を重視しており、まずは、元意、根本、肝要となるところを踏まえることが大切ですね。
「法華取要抄」は、文永11年(1274年)5月24日の著述ですが、約10ヶ月後の文永12年(1275年)3月10日著述の「曽谷入道殿許御書」にも同様の記述があります。この頃の日蓮にとって、支道林の故事は、自らの法門を形作る上でぴったりだったのでしょうね。
その時に、大覚世尊、寿量品を演説し、しかして後に十神力を示現して、四大菩薩に付嘱したもう。その所嘱の法は何物ぞや。法華経の中にも、広を捨てて略を取り、略を捨てて要を取る。いわゆる、妙法蓮華経の五字、名・体・宗・用・教の五重玄なり。例せば、九方堙が馬を相するの法には玄黄を略して駿逸を取り、支道林が経を講ずるの法には細科を捨てて元意を取る等のごとし。
同書 1399頁(曽谷入道殿許御書)
ここでも支道林の故事を出しながら、法華経の広、略、要について述べています。やはり、日蓮にとっては、妙法蓮華経の五字なのですね。まずは、この妙法蓮華経からはじまり、そこから細かい点を含め、広げていくという方向性ですね。
「細科を捨てて元意を取る」との言葉は、重要と感じます。つい細かいところに躓いてしまいがちですが、まずは、元意を取ることですね。広、略、要でいえば、要から取るという姿勢が必要です。
信仰においては、妙法蓮華経の五字からスタートすることであり、その他の分野においては、それぞれの分野での元意、要を見極め、その元意、要からスタートするという心構えが大切ですね。