この経一部八巻二十八品六万九千三百八十四字、一々に皆妙の一字を備えて三十二相八十種好の仏陀なり。
『日蓮大聖人御書全集』新版 82頁 (開目抄)
この経とは、法華経のことですが、法華経の文字が69384文字あるということです。この法華経の文字をすべて写し取るにはどれぐらいの時間がかかるのでしょうか。1字につき10秒前後かけたとして、1日に6時間から7時間を費やした場合、約30日になります。1ヶ月かかるのですね。
そこで、法華経を1日で写経したい場合、どうすればよいか。これは簡単ですね。約30日かかるわけですから、30人で仕上げれば1日で法華経の全文字を写経することができます。これを「一日経」といいます。
御書の中で「一日経」を探すと、
世間の道俗の中に、わずかに観音品・自我偈なんどを読み、たまたま父母孝養なんどのために一日経等を書くことあれば、
『日蓮大聖人御書全集』新版 7頁 (唱法華題目抄)
とあったり、また、
二十四日の戌亥時、御所にすえして、三十余人をもって一日経かきまいらせ、
(中略)
ただし、一日経は供養しさして候。
『日蓮大聖人御書全集』新版 1816頁 (地引御書)
とあります。
「唱法華題目抄」では、世間の道俗が一日経を書くこともありますねと書いているだけであり、積極的に一日経をすべきと言っているわけではありません。
また、「地引御書」では、日蓮指揮の下、一日経を始めているのですが、その始めている時刻が、「戌亥時」であり、午後9時頃からなのですね。どう考えても1日で終わりません。その故か、その後、「ただし、一日経は供養しさして候」とあるように「止して候」ですから、途中で止めているのですね。あまり一日経を大事にしている様子はありません。
さらに、これは日蓮の筆ではなく、日澄が草案を書き、途中で死亡したため、日順が引き継いだものを日興が印可した書といわれている「富士一跡門徒存知の事」ですが、ここでは、
一、五人一同に云わく、如法経を勤行し、これを書写し、供養す。よって、在々所々に法華三昧または一日経を行ず。
日興云わく、かくのごとき行儀は、これ末法の修行にあらず。また謗法の代には行ずべからず。これによって、日興と五人と堅くもって不和なり。
『日蓮大聖人御書全集』新版 2175頁 (富士一跡門徒存知の事)
とあり、一日経は、末法の修行ではなく、行うべきでないと言っています。
日蓮は、一日経を重視していないようであり、日興に至っては、一日経を行うなと言っており、日蓮門流において一日経は顧みられることはないようです。
法華経全部ではなく、自我偈を書写することなどは、それなりに意義があるのではと思います。
ただ、日蓮は、写経よりは、唱えることを重視していますので、勤行、唱題が基本ということですね。