玄奥なことわりを示す本書のような書物は、そのよって来たる根源がどこにあるのか、よく知らなければいけない。『大智度論』には、「釈尊の修行は他の人から教わったというようなものではない」とあり、『太子瑞応本起経』には、「釈尊は定光仏から受記を与えられた」とある。『論語』には、「生まれながらにして知る者は最もすぐれ、学んで知る者はそれに次ぐ」とある。実に本書の仏法の世界は広大で不可思議である。生まれながらのめぐまれた資質のままにさとった者の説というべきであろうか。師に従って学び師の境涯を超えた者の説というべきであろうか。
池田魯参『詳解 摩訶止観 人巻 現代語訳篇』大蔵出版 14頁
玄奥なことわりを示す本書と言っているぐらいですから、仏法の奥義が展開されるわけですが、『大智度論』や『太子瑞応本起経』の引用の後に、『論語』が引用されます。仏教の中にいきなり儒教が入ってきており、ちょっと驚きですね。この辺が中国仏教を感じさせます。
『論語』の引用文のとおり、智は、元々、優秀で才能のある人であったでしょうし、また、師の慧思(南岳大師)に学び、その上で師を超えていった人でもあったのでしょう。
仏教史上、名を残している僧侶は、元々、天才気質であり、その上で、努力家であり、師から、経典から、律から、論から十二分に仏教を学び取っています。凡人の手の届かない人々といってよいでしょう。しかし、これらの名僧は、我々凡夫に対し、成仏への道を指し示してくれています。単に優秀というに留まらず、非常に慈悲深い、心温まる人なのですね。
もちろん、その法門は、簡単に理解できるものではありませんが、現代は、書籍も揃っており、段階を踏んでいけば少しずつではあっても理解できます。あとは、我々が努力、精進して名僧の著作を読み進めていくだけですね。