今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上、悪国・悪王・悪臣・悪民のみ有って、正法を背いて邪法・邪師を崇重すれば、国土に悪鬼乱れ入って、三災七難盛んに起これり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』 600頁(如説修行抄)
鎌倉時代と同様、実際のところ、現在もこのような状態でしょうね。確かに、科学技術の発展により、利便性のある生活とはなっていますが、人間の精神性においては、悪なるものが蠢いています。表面は行儀良くしていますが、一皮むけば、ドロドロしたものが流れ出るのですね。戦争や大量虐殺や非情な差別等々を垣間見ることがありますが、やはり、これらは人間の三悪道(地獄、餓鬼、畜生)の境涯が生み出しているものといってよいでしょう。
我々にもこの三悪道の生命がありますが、これを法華経の信仰によって、四聖(仏、菩薩、縁覚、声聞)という高次の境涯によってコントロールしながら、三悪道そのものが暴走しないようにすることです。また、三悪道を活用するほどの境涯に至るべきですね。
例えば、我々の中にある餓鬼界の境涯、つまり、人のものを盗んでやろうという気持ちを使って、盗みを働く人間の精神状態を見抜き、防犯に役立てるということなどが活用の一事例といえましょう。もちろん、自分は人のものを盗まないのは当然のことですが、そのような気持ち、餓鬼界の境涯が自分の中にあることを利用、活用するほどの境涯、つまり、四聖の境涯を軸に生きていくように信仰することですね。
畜生界でいえば、自らの愚痴の状態を観察し、そこから愚か者の行動様式を見抜き、その愚か者と接しないよう前もって行動することなど、また、自分の地獄界の境涯、所謂、瞋りの状態を分析し、他人を怒らせないよう細心の注意を払うなどということも畜生界、地獄界の境涯を活かしている事例といえましょう。
四聖によって三悪道を転換し、三悪道を単なる三悪道に留めておくのではなく、その三悪道を活用し、善用するという姿勢が法華経信仰者のあり方といってよいでしょう。