四大声聞の領解に云わく「無上の宝珠は、求めざるに自ずから得たり」
『日蓮大聖人御書全集 新版』135頁(観心本尊抄)
人はそれぞれ、目的、目標など目指すものがありますが、その目的物が手に入ることは少ないものです。だからといって、その目的とするものを獲得しようとする努力、精進が無駄であったかというとそうでもないのですね。
自分が求めていなかったけれども、結局、自分にとって必要な適切なぴったりしたものが手に入ることがあります。これが、「無上の宝珠は、求めざるに自ずから得たり」ということなのでしょう。
努力、精進は続けなければなりません。そうしますと、自分にふさわしいものが手に入ります。当然、努力、精進をしなければ、何も手に入りません。
自分が欲するものが自分にとって重要であるかどうかは、意外と分からないものです。単に欲しているだけで、単なる貪欲にしか過ぎないということもあります。自分のことを自分が一番分かっているという側面もありますが、一番分かっていないという側面もあります。
ここは、気楽に「無上の宝珠は、求めざるに自ずから得たり」という態度で、努力、精進はしながらも、余裕を持って生きていくことが仏法的といえるでしょう。