釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう。
如来滅後五五百歳始観心本尊抄
この部分は、三十三字段というようです。文字数が三十三字であるのか原文で確認してみましょうか。
釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足。
我等受持此五字自然譲与彼因果功徳。
確かに三十三字ですね。
釈尊のなしてきた修行及びその修行によって獲得された功徳の二つが妙法蓮華経という五字に具わっているといいます。思い切った主張ですね。
釈尊が説いたとされる八万法蔵の経典だけを考えても膨大であり、その経典が成立するために釈尊がなしてきた修行をも加えると、相当の量があるといえます。それが、妙法蓮華経の五字に納まるとは、やはり、思い切りのいい考え方です。
庶民が膨大な仏教経典を修めることは無理であり、それ故、功徳に与れないとなると何のための仏教なのかと日蓮は考えたのでしょう。
仏教を修めて、それから功徳という方向ではなく、まずは、功徳に与りながら仏教を修めていくという方向が日蓮の仏教の特色でしょう。
そのために、日蓮は、釈尊の八万法蔵の経典から妙法蓮華経を選び出し、それから妙法蓮華経の題号の五字に釈尊の仏教のすべてを集約させました。
そして、我々がこの妙法蓮華経の五字を受持する、つまり、信仰することにより、釈尊の仏教の功徳すべてを自然に無理なく譲り与えられるというわけです。
このような仏教は、釈尊の仏教の功徳を得ているとはいえ、もう釈尊の仏教の枠を飛び越えています。釈尊は、妙法蓮華経の五字に自らの仏教を集約させたわけではありませんから。故に日蓮の仏教となるのでしょう。
妙法蓮華経の五字を受持し、信仰の表われとして「南無」を付け、「妙法蓮華経」と唱えると、「南無妙法蓮華経」となり、ここに唱題行が成り立ちます。
まずは、唱題を行い、功徳を得ていき、その上で、仏教の研鑽を続け、また、世の中での活動においても功徳に基づきながら、自らの力を発揮していくという流れが出てきます。
功徳を得て、そこから広がっていくというイメージですね。
修行、研鑽を行い、最終的に功徳に至るという方向ではないですね。
まずは、功徳、そこから展開というのが日蓮の仏教といえるでしょう。
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