年頭自警
一、 年頭まず自ら意気を新たにすべし
二、 年頭古き悔恨を棄つべし
三、 年頭決然滞事を一掃すべし
四、 年頭新たに一善事を発願すべし
五、 年頭新たに一佳書を読み始むべし
『安岡正篤一日一言』致知出版社 6頁
新しい年となりました。
年頭自警として、五つの項目がございますが、どれもこれも重要なことばかりです。
まず、自らの気持ちを一新することですね。常に自分自身を新しくしておくことが肝要です。これがあってはじめて他の四つの項目が完遂できるといってよいでしょう。
次に、古い悔恨を棄てるとありますが、古くても古典等は、いつまでも残しておくべきですが、後悔や恨みの感情は、古ければ古いほど厄介なものですから、棄てておくのがよいですね。
そして、滞っている事柄を一掃するということですが、わだかまりなどがこれに相当するのではないでしょうか。人間、年を重ねるに従って、何だかんだとわだかまりの感情が増えてくるものです。それを一気に掃き捨てろということですね。
善事をなすということですが、大きなことではなく、身近なところから善事を行うのがよいように思います。常に接する人に対して、穏やかであることが重要でしょうし、感謝の念を持ちながら接するのが大切でしょう。身近な人を大切にするというのが一善事と思われます。
佳書を読み始めるということですが、早速、日蓮の「十字御書」を読んだところです。
抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば・或は地の下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候
十字御書 1491頁
地獄界の境涯といえ、仏界の境涯といえ、どこか遠くにあるのではなく、我が身の中にあるということです。自分自身が仏たり得るのか、それとも、地獄程度の人間に留まるのか。自らの心次第ということですね。この意味からも、「年頭まず自ら意気を新たにすべし」との言葉が重要であることがわかります。
さもやをぼへ候事は我等が心の内に父をあなづり母ををろかにする人は地獄其の人の心の内に候
同書 同頁
父、母という身近な人を蔑ろにし、疎んじるならば、善事をなしているとはいえず、このような人間は、地獄界の境涯にあると日蓮は指摘します。地の下に落ちるまでもなく、心が地獄というわけです。
今正月の始に法華経をくやうしまいらせんと・をぼしめす御心は・木より花のさき・池より蓮のつぼみ・雪山のせんだんのひらけ・月の始めて出るなるべし、今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし
同書 1492頁
佳書として、御書をあげておりますが、当然、法華経をも含めるべきであり、勤行を行うことは、まさに、法華経の方便品と如来寿量品とを読誦することであり、法華経供養、法華経信仰をしているということですから、幸福があらゆるところから集まってくるということです。信仰をして不幸せでは何にもなりませんので、十字御書通り、幸せを引き寄せる信仰をしていくべきと思います。
年頭自警を通して、自らの信仰のあり方を見直したところです。後悔や恨みつらみ、滞っているわだかまりなど、一切、掃き捨て、新たな気持ちで生きていきたいと思うところです。