病があろうが、運命が悪くなろうが、それを感謝と喜びにふりかえることです。
そもそも病とか不運とかというものの原因を考えてください。何にも自分に落ち度がなくして、病や不運がくるはずがないのであります。つまり、原因あっての結果。
ですから、おまえの生き方に誤りがあるぞ、と自覚を促すために病なり不運なりが与えられたとしたら、これは大きな恵みですわ。それを考えたら、恨みどころか感謝にふりかえ、喜びで誤りを是正する方へと自分の心を積極的にふり向けることが一番必要でしょう。
『中村天風一日一話』財団法人天風会編 PHP研究所 55頁
不運があると嘆き、悲しみ、挙句の果てには恨みが生じますが、このような生き方がそもそも間違っていると指摘されています。
不運には、その人の生き方に間違いがあるから生じるのであって、何にもないところに生じるものではないということです。
間違った生き方をして、再び、間違った生き方を繰り返すのではなく、誤りは誤りとして認識し、感謝、喜びをもって、改善に勤しむのが正しい生き方といえましょう。
不運がありますと、落ち込みます。それは仕方がないことですが、いつまでも落ち込んでもいられませんので、自分の至らないところを認識できたとの喜びを得ながら、感謝の念を持ち、より高次の自分に至るよう精進することですね。
また、不運に見舞われるということは、ある意味、厄落としともいえるわけで、不運を呪うより、不運によって助かったと考える方が価値的でしょう。実際、考え方という次元だけでなく、本当に厄落としになっているというのが実相かもしれませんね。
この程度の不運でよかった、というわけです。
早め早めに厄は落としておいた方がよいですね。
そう考えますと、不運は、ありがたく、感謝、喜びへとつながっていきます。