つらいこととか、悲しいこととか、苦しいこととかいうのは、自分の心で決める評価なんだから。つらいことがあっても、
「ああうれしい!こうして生きていられる」
と思ったら、ニコニコして暮らしていけるじゃないか。殺されるよりいいじゃないか。
私はそういうふうにして、自分自身を作り上げる序の口とした。
『中村天風一日一話』財団法人天風会編 PHP研究所 46頁
人は、マイナスの状況、つまり、つらいこと、悲しいこと、苦しいことの方を重要視する傾向があるようです。
私自身も思い当たるふしがありますね。
しかし、生きていればいいこと悪いことがあるのは当然のことで、取り立てて悪いことの方を重要視する必要はないでしょう。
ただ、マイナス方向へ人の関心が向かいがちであり、つい、悪いことをメインに評価を下すようです。よって、よりつらく、より悲しく、より苦しむというわけです。
そうはいっても、つらい、悲しい、苦しいだけでは身が持ちません。
実際、悪いことを重視しても、それよりもよいことも多く、少なくとも生きているという現実がある限り、そう嘆く必要はないでしょう。
別に命を取られているわけではないのですから、不必要に煩悶することはないでしょうね。
ただ、金銭を失うということのダメージは大きいですね。
それこそ想定外の状況で金銭はなくなるものです。
予想していれば、別に、想定内のことですからいいのですが、想定外ではパニックになってしまいます。
そして、より一層、金銭を失うという悪循環にはまるのですね。
自分自身というものがいかに脆いのかが身に沁みます。
金の苦労によって人間は鍛えられる。
『森信三一日一語』寺田一清編 致知出版社 29頁
まさか、金の苦労をするとは思っていなかったのですが、金銭を失うという苦しみは、自分を鍛える試練と捉えるのがよいかもしれません。
漫然と生きていたことを反省しますね。
そうはいっても、命がなくなっているわけでもなく、言ってみれば、単にお金が少なくなっただけのことで、あまり失ったお金の事ばかり考えず、そのことを重要と評価しすぎず、生きているだけでも有難いと思うべきでしょうね。
世の中を見渡しますと、災害、事故、病気等々で苦しんでいる人がたくさんいますが、その人たちの苦労に比べると、いくらかの金銭がなくなったところで、どうしたというところでしょう。片腹痛いわ、で笑われてしまいます。
お金は所詮お金という風にドライに考えるのがよいでしょうね。
最終的には、自分の心が那辺にあるかということでしょう。