十字一百まい・かしひとこ給い了んぬ、正月の一日は日のはじめ月の始めとしのはじめ春の始め・此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく・日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく・とくもまさり人にもあいせられ候なり。
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正月を祝う人は、徳がまさり、人に愛されるという。
ならば、正月を祝おうというわけではありませんが、祝うということをさりげなく行える人は徳がある人であり、人から好かれるということでしょうね。
新春を素直に祝う。とても簡単なことですが、さり気なく行えるかどうか、ここにその人の境涯が現れるといってよいでしょう。
仰々しくしても、白々しいですし、斜に構えてもしょうがない。
祝うべきは祝う。それでよいように思います。
年が変わりますと潮目が変わります。昨年はいろいろありましたが、そういったことも新年を迎えることで一新されるわけです。
新たな次元がスタートするのですね。このことを祝うということですね。確かに祝いたくなります。そして、徳がまさり、人に愛されるならば言うことなしです。
わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる。
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正月を祝い、徳がまさり、人に愛されるといっても、悪口等を言うと身が滅びるという。
災いは、勝手に飛んでくるものではありません。自分の口から発生するのですね。要らぬことは口にせぬこと。これを今年の行動規範にしておくことですね。
そして、心豊かに生きていきたいものです。幸せは、棚からぼた餅のように落ちてくるものではありません。自分の心から生じるのですね。
それこそ、心を仏の次元にもっていくことが肝要でしょう。
つい、地獄界程度の心に堕落するものですが、ここを戒めておくことですね。
法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし
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最後は、信仰心でしょうね。信仰あるところ、幸いあり、ということでしょうか。
万里の外より幸いを集めるという、壮大な観点から信仰をしていきたいものです。
法華経を信ずる人は・せんだんに・かをばしさのそなえたるがごとし
同頁
このようになれるような信仰者でありたいですね。
いい香りが広がるように、他の人にも、さり気なく、いい影響を与えるほどの人間になることですね。
そうしますと、自分自身も、さらに幸せになり、また、他の人にいい影響を与え、さらに幸福になるという好循環が理想的な形ですね。