恐ろしく我の強い男だったが、今度の事で、己の如何にとるに足らぬものだったかを沁々と考えさせられた。理想の抱負のと威張って見たところで、所詮己は牛にふみつぶされる道傍の虫けらの如きものに過ぎなかったのだ。
『李陵・山月記』中島敦 新潮文庫 123頁〜124頁
宮刑にあった司馬遷に関する記述です。
司馬遷程の人間が取るに足らないもの、道傍の虫けらの如きものであるならば、私など、もっと、取るに足らない、虫けらということになりましょう。
人間は、つい、思い上がってしまいます。また、自己評価は常に甘くなります。甘々という場合がほとんどでしょう。
取るに足る人物と思っているのですね。しかし、世間、他人は厳しく、評価は惨憺たるものです。
取るに足らない、虫けらという扱いですね。
世の実相は、このようなものです。
思い上がらず、冷静に自己を見つめることですね。
その上で、自分が為すべきことを粛々と為すというのが好ましい生き方でしょう。
世間、他人の自分に対する評価は、取るに足らない、虫けらということは、はっきりしているわけですから、評価を求めても仕方がありません。
司馬遷も修史という仕事に従事しており、ただただ、自分の為すことを為せばよいということですね。