大器晩成という言葉があるが、人は自然が晩成した大器だ。(高等動物の中で)一番後で作ることに成功した。まあ、大器といってよい。まさに大器晩成で、大自然という偉大な創造者が何十億年もかかってやっと作ったもの。だから、自然の法則は人間においても同じく、人間は、早成する、早く物になるというほど危ないことはない。
人間もなるべく晩成がよい。まあ、死ぬ頃なんとか物になるというくらいの覚悟でぼつぼつやるがよい。
『安岡正篤一日一言』致知出版社 228頁
若い頃は、早くに成功することがよいことと思っていたものです。
それなりに年を取ってからも、早く成功することがよいことと思い続けていたものです。
効率のよい人生というものを考えていたのでしょうね。
成功は早いほどよいという、ある意味、宗教的信仰に近い感覚があったのかもしれません。
しかし、ほとんどの人間にとって、早くに成功するということはあり得ず、成功しないまま人生を終える人の方が多いといえましょう。
あまりにも早く、早くと焦るばかりで、大した努力をしてこないところに根本的な問題があるのですが、焦っている時には気付かないものです。
安岡正篤氏が言うように、早くに成功すること、早成することは、非常に危険ということですね。今から思いますと、早く成功したいなどと思っている人間が運よく成功しても、そもそも、人間として立派なわけはなく、思い上がったまま、転落していくのですね。
ある意味、運よく早成しなくてよかったと、ほっとするところです。
死ぬ頃になんとか物になるという表現はおもしろいですね。まさに、最後の最後が勝負ということでしょう。
慌てて物事が成るということはなく、地道に努力するほかないと思いますね。効率も大事ですが、効率よくいかないのが人生というものでしょう。
世の中を観察しますと、若くして成功した人の末路は、やはり、悲惨である場合が多いですね。思い上がりが見受けられます。思い上がった人間に、人は好意をよせることなく、その思い上がった人間が少しでも下降状態になった途端に、一斉に攻撃を仕掛け、転落させ、それを楽しむといった図式でしょうか。
世間というものは、手厳しいものですから、思い上がらないよう、自制しておくことですね。
いずれにいたしましても、ぼつぼつやるのがよいようで、慌てず、じっくりと、地道に、そして、楽しく自分自身を磨いておけばよいですね。