金殿玉楼の中にあって暖衣飽食、なおかつ何らの感謝も感激もなく、ただあるものは不平と不満だけという憐れな人生に比較して、まことや、人生のいっさいを感謝に振り替え、感激に置き換えて活きられるならば、截然としてそこにあるものは、高貴な価値の尊い人生ではないでしょうか!
否、こうした心がけの現実実行こそ、活きる刹那刹那に、なんとも形容のできない微妙な感興おのずから心の中に生じ来たり、どんなときにも生活の情味というものが当然味わわれることになる。
『中村天風一日一話』財団法人天風会編 PHP研究所 213頁
あるものは不平と不満だけという憐れな人生とは、手厳しい指摘ですね。
感謝、感激はないが、不平と不満とは、たくさんあるというのが愚かな人間の姿なのですが、得てして、そのような愚かな状態に陥ってしまうものです。
生活、人生を思い返すと、不平と不満とに充満していることに気付きます。
この時、上記の文章に触れますと、ハッと気付かされるのですね。
少なくとも、現在の日本に住んでいるという事実からして、世界的に見れば、金殿玉楼の中にあって暖衣飽食の環境にあるといってよく、通常であれば、感謝、感激に満ち溢れるはずですが、そうはならず、不思議なことに不平と不満とに満ちている。
不平と不満とが何かを生み出すことはなく、マイナスの作用しか及ぼしません。
感謝と感激とであれば、より豊かな人生となるでありましょう。
そうしますと、感興、情味といった風情を感じながら生きていくことができます。
自分の心の中に不平と不満とが出てきた時には、上記の文章を思い起こし、感謝と感激とに変換しながら、生きていくことですね。
人間は、金殿玉楼の中にあって暖衣飽食にすら、すぐに慣れてしまう。そして、不平と不満とを噴出させる。それは憐れとしか言いようがなく、情けない姿です。
そうならないためにも、感謝、感激の心持ちがある人間となることですね。
所謂、人間性の問題といえましょう。