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2015年12月05日

日蓮は、法華経の中に密教を組み込んだといえるでしょう

日蓮(1222-1282)は千葉県小湊の漁師の家に生れ、12歳で清澄山の寺に入り、16歳で出家し、是聖房蓮長と名乗った。当時、清澄寺は天台系の密教寺院で、師の道善房は念仏信仰者であった。そのために日蓮は若くして法然や善導の浄土教義を学び、さらに天台の本覚思想に触れた。
平川彰『インド中国日本仏教通史』春秋社 277頁

日蓮は、清澄寺にいた頃、天台系の寺院ですから、法華経、天台本覚思想を学んでいたことが分かります。

そして、清澄寺が密教寺院であったことから、密教も学んでいたことが分かります。

また、師の道善房が念仏信仰者であることから、法然、善導の浄土教義を学んでいたことが分かります。

まとめますと、
@  法華経、天台本覚思想
A  密教
B  念仏、浄土教義
の3つを学んでいたのですね。

日蓮がまだ21歳で蓮長と名乗っていた仁治3年の作といわれる「戒体即身成仏義」には、

十界互具する故に妙法也。さるにては互十界二乗菩薩凡夫を具足せり。故に二乗不成仏云はば、凡夫・菩薩も不成仏云事也。法華の意は、一界の成仏は十界の成仏也。法華已前には仏非実仏、九界を隔てし仏なる故に。何況や九界耶。然に法華の意は、凡夫も実には仏也。十界具足の凡夫なる故に。何況や仏界耶。
『昭和定本日蓮聖人遺文』第一巻 10−11頁

法華経の悟と申は、此国土と我等が身と釈迦如来の御舎利と一と知也。
同書 14頁

とあり、すでに法華経の十界互具の法門を明確に論じています。法華経已前の経典では、仏ですら実仏でないと言っています。法華経に至って初めて成仏が可能であり、凡夫も実は仏であると言っています。凡夫本仏論があらわれているといえるでしょう。

法華経の悟りについても、我々が住んでいる土地と我々自身と釈迦如来とは別々ではなく、一体であると論じています。

釈迦如来と別々ではないということは、我々自身が仏たり得ることをあらわしており、また、此国土と言っていることから、どこか遠くへ行って成仏するのではなく、今、この場において成仏することをあらわしています。

後に、日蓮と名乗ってからの法門と軸が変わりませんね。このころから、法華経の法門を重要視していたことが分かります。

ただ、

今此三界皆是我有。其中衆生悉是吾子也等云云。知法華経申は、此文を可知也。我有と申す有は其非真言宗者難知。
同書 14頁

と述べており、法華経譬喩品第三にある今此三界の文を知ることが法華経を知ることであると言いつつ、我有の有ということを知るには、真言宗によらなくてはならないと言っています。

真言宗ですから、密教の次元において理解すべきということでしょう。

この点においては、後年の日蓮の法門との違いが見て取れます。

また、

為令人知顕教密教勝也。
同書 15頁

とも言っており、顕教よりも密教が優れているとの認識を示しています。

このころの日蓮においては、法華経を重視しながらも、密教をも重視していたことが分かります。

では、浄土教義についてはどうでしょうか。

法華経の如法経を浄土の三部経に引違へたる是を毀と云也。権教を以て実教を失は、子が親の頸を切たるが如し。又観経の意にも違ひ、法華経の意にも違ふ。
同書 12頁

浄土三部経は権教であり、実教の法華経の代わりにはならず、浄土三部経を主にして、法華経を蔑にすることは、子供が親の頸を切るようなものとまで言っています。

このころから、浄土教義については、手厳しく批判をしています。これは、後の日蓮の法門と軌を一にしています。

初期日蓮以前の蓮長の時において、注目すべきは、真言宗重視、密教重視の姿勢ですね。

法華経を中心としているところは変わらないのですが、そこに密教が深く浸透しています。

後年、日蓮は、真言宗、密教を批判するに至りますが、その過程を研鑽の中で明確にしていきたいですね。

また、真言宗、密教を単に批判したというわけではなく、実は、真言宗、密教のエッセンスを法華経に取り込んだからこそ、真言宗、密教そのものをあえて用いる必要はないということだったのかもしれません。

日蓮本尊に関して考えてみますと、そもそも、本尊を曼荼羅の形式にしているところから、真言宗、密教の影響が見て取れます。

南無妙法蓮華経という陀羅尼、所謂、呪文を唱えますが、これも、真言宗、密教の陀羅尼、呪文と同じようなものです。関連性があるといえるでしょう。

また、本尊の右側には、記号のようなものがありますが、これは、不動明王をあらわしており、密教で用いられる梵字(種子)で書いています。左側は、愛染明王であり、これも種子で書いています。まさに、密教を取り込んでいますね。

日蓮は、本尊を文永年間から揮毫し始めますが、建治年間、弘安年間と経るにしたがって本尊の相貌は完成に近づきます。それと同時に、真言宗、密教批判が強くなります。

本尊を完成させた後においては、密教を取り込んだ本尊が存在するわけですから、真言宗、密教そのものを修する必要はなく、本尊に南無妙法蓮華経の題目を唱えればよいと考えていたのでしょう。

法華経を中心とする法門の中に、密教を組み込んだといえるでしょうね。

法華専修のようでありながら、法華経の中に密教の要素をも取り入れ、実のところ、総合仏教となっていったのが日蓮仏法といえるかもしれません。

仏教の様々な法門を法華経に組み込むというダイナミックな過程を、研鑽しながらより深く把握していきたいですね。
posted by lawful at 10:48| 御書

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