衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり
一生成仏抄 384頁
人間の心根次第で、その土地の境涯が変わります。
穢れた心根の人間が多いところは、さびれるものです。犯罪だらけで、汚い街になっていきます。
心根の清らかな人が多いところは、発展し、豊かであり、美しい街になっていくものです。
所詮は、人の心ということですね。
我々の心根がフラフラして、迷いの状態にある場合、それは衆生の状態であるという。
悟りの状態にあれば、仏の状態であるという。
成仏といっても、我々の心根の状態によるのですね。
フラフラした迷いの状態でなく、覚悟を決めた状態であれば、成仏できるというわけです。
人間とは弱いもので、つい、フラフラした迷いの状態に陥ります。
そこで、御書、法華経を研鑽し、覚悟が決まるほどの人間になることですね。
実のところ、ちょっとした違いなのですね。
我々の心根を悟りの方向、覚悟が決まる方向にもっていくのが信仰といえましょう。