かつへて食をねがひ・渇して水をしたうがごとく・恋いて人を見たきがごとく・病にくすりをたのむがごとく、みめかたちよき人・べにしろいものをつくるがごとく・法華経には信心をいたさせ給へ
上野殿御返事 1558頁
法華経への信仰は、特別なものと考える必要はないですね。
お腹がすけば食べたいと思いますし、のどが渇けば水を飲みたいと思うようなことと同じように考えればよいのですね。
好きな人に会いたいという気持ちと法華経への信仰心は変わりませんよ、と日蓮は言います。
病気を治すために薬を飲み、美人が、より一層、美しくあるために化粧するようなもので、このような至極当然な振る舞いと同じように法華経には信仰心をもって接していきなさいというわけです。
信仰は生活の中に溶け込んでこそ、信仰といえるでしょう。
身に付いていない信仰は、みっともないですね。
あくまでも自分自身を軸として信仰すべきです。
洗脳されての信仰は、他者が軸になっていますので、みっともないわけです。
洗脳というものは、不自然の極みであり、上記の御文のような当たり前のことの逆なのですね。
お腹がすいても食べるな、のどが渇いても水を飲むな、好きな人とは会うな、病気になっても薬を飲むな、美しくなるための化粧をするな等々、このような感じのことを洗脳教団は言います。
冷静に考えれば分かることですが、洗脳教団は、変なことを言っています。
我々としては、正しく、法華経の信仰を行えばよく、法華経を悪用する人間には、近づかないことですね。