問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし
本尊問答抄 365頁
日蓮にとって、本尊とは、法華経の題目ですから、「妙法蓮華経」の五字になります。
その「妙法蓮華経」に「南無」する故に、「南無妙法蓮華経」となるわけですね。
文永年間から、本尊の書写がはじまります。
文永年間の本尊は、筆が細いため、字が細いですね。
建治年間に至り、やや、字が太くなります。
弘安年間に至って、現在、我々が認識している本尊の形態に仕上がっていきます。
「南無妙法蓮華経」や「日蓮」や「四天王」等は、非常に太い字で書かれています。
全て文字というところが日蓮本尊の特徴ですね。
仏像や絵像が本尊ではないのですね。
我々からすると、本尊とは文字本尊ですから、違和感はありませんが、仏像等を本尊と認識している人からすると、珍しく感じられるのでしょうね。
本尊から考えますと、日蓮仏法は、知識のある人の宗教という側面があります。文字ですから。読めない人には、分からないですからね。
ただ、鎌倉時代と違って、現在の日本において、字が読めない人は、ほとんどいません。
よって、現代においては、すべての人のための宗教といえます。
文字本尊の宗教にとって、ハンデはないのですが、御書、法華経を研鑽しながらの信仰ですから、単に信じればよいというわけでもなく、やはり、知識を踏まえての信仰であることから、知識のある人の宗教であり、そう簡単に広まる宗教ではないですね。