破すべきをば・これをはし取るべきをば此れを用う
撰時抄 270頁
世の中に、全き善もなければ、全き悪もありません。
善悪混交しています。
そこで、善を取り、悪を破す必要が生じますが、これが困難ですね。
面倒なのですね。
しかし、悪をそのままにしてはいけませんから、「破すべきをば・これをはし」を実践しなければなりません。
そして、善を「取るべきをば此れを用う」としなければなりません。
例えば、創価学会という教団について、悪い点があると指摘した時に、「創価学会にはいいところもある」と言う人がいます。
では、その人が創価学会について、「破すべきをば・これをはし取るべきをば此れを用う」との通りにしているかというと、そうではないのですね。
「いいところもある」と言いながら、実は、悪いところをそのまま容認しているだけなのですね。
悪いところを破していないのですね。
その割には、創価学会のいいところと評価できるところ、つまり、『御書』『妙法蓮華経並開結』『御書辞典』『仏教哲学大辞典』を発行したことですが、これらの書籍を活用しないのですね。と言うよりも無視しています。
「いいところもある」と言うならば、そのいいところを用いるべきでしょう。
その用いるべきところを用いず、「いいところもある」ですから、言っていることと行っていることが分裂しています。その人自身が分裂しているからでしょう。
破すべきをば・これをはさず取るべきをば此れを用いないになってしまっているのですね。逆になっています。
我々としては、御書通りの振る舞いで生きていきましょう。