仏法には賢なる様なる人なれども時に依り機に依り国に依り先後の弘通に依る事を弁へざれば身心を苦めて修行すれども験なき事なり
下山御消息 344頁
仏法の法門について知識があったところで、修行の方法を間違うと、なんらの功徳もないということですね。
仏法においては、「時」を知ることが大切です。タイミングを外しているようでは、仏法修行はおぼつかないでしょう。
「機」を知ることも大切ですね。人の能力、根性、性質を見極めませんと、トンチンカンな説法になります。その人に応じた話をするのが適切です。
「国」を知ることも重要ですね。どのような環境かを把握しませんと、場違いな人、痛い人になってしまいます。
「先後の弘通」は、先に広まった教えを把握したのち、その次に来るべき教えを説けということですが、物事の順番を間違えるな、と考えると分かりやすいでしょう。
何事も順番がありますので、順序よく物事を進めるべきということですね。
これら、「時」「機」「国」「先後の弘通」を踏まえないで、仏法修行をしても、何にもなりません。
いくら「身心を苦めて」もダメです。
苦行をしていると功徳があるのではと思いがちですが、その苦行が「時」「機」「国」「先後の弘通」を踏まえないものであれば、功徳などありません。
まずは、正しく仏法修行を行うことですね。
「仏法には賢なる様なる人」であっても、間違った修行を行う場合があるというぐらいですから、凡夫であれば、より一層、気を付けなければなりません。