小善を持て大善を打ち奉り権経を以て実経を失ふとがは小善還つて大悪となる薬変じて毒となる親族還つて怨敵と成るが如し難治の次第なり
下山御消息 344頁
善は善でも小善では意味がないですね。
善であるならば、大善であるべきです。
しかし、世の中を見ますと大善はほとんど見当たりません。
その割には、小善はよく見かけます。
小善が集まって大善となるかというと、そうはならないのですね。
大悪になっています。
所詮、いくら集まっても小善は小善のままであり、「小善還つて大悪となる」との通り、世の中が乱れます。
中途半端な善は、大悪に通じますね。
遠慮せず、大善をすればよいところ、大善をするのは大変だから、小善でお茶を濁そうとするのですね。その態度が大悪を助長するというわけです。
悪だけであるならば、悪いことがはっきりしていますので、悪いところを取り除こうとする動きに繋がります。
しかし、小善が混じっていると、悪だけでなくなりますから、いいところもあるではないかということで、悪いところを取り除こうとする動きが鈍くなるのですね。
つまり、悪を悪のまま放置する作用を小善が果たすのですね。
よって、小善は大悪となるわけです。
この傾向を直すのは困難ですね。
人は、つい、小善を為してしまいますから。悪気はないのですが、そこに深刻さがあります。
「小善還つて大悪となる」。この言葉は、非常に重い言葉ですね。
心したいところです。