所詮三大師の邪法の興る所は所謂東寺と叡山の総持院と園城寺との三所なり禁止せずんば国土の滅亡と衆生の悪道と疑い無き者か予粗此の旨を勘え国主に示すと雖も敢て叙用無し悲む可し悲む可し
四信五品抄 343頁
今でこそ日蓮の名前は大きな名前であり、歴史上の人物ですが、鎌倉時代においては、ただの一僧侶でありました。
日蓮は、比叡山での研鑽を終え、法華経が第一である確信を持ち、当初は、法然の法門を批判し、後に、弘法・慈覚・智証の三大師の法門を批判しました。
法華経通りでないというわけですね。
日蓮は、東寺と叡山の総持院と園城寺とを禁止せよと訴えるのですが、もちろん、この訴えが用いられることはありません。
鎌倉時代において、すでに確固とした地位を築いている東寺と叡山の総持院と園城寺を禁止すること、つまり、取り潰すことは不可能ですね。
逆に、日蓮が伊豆、佐渡に流されており、日蓮が取り潰されそうになっていました。
しかし、それで潰される日蓮でなかったため、現代まで日蓮の法門が残っているのですね。
やはり、日蓮は、ただ者ではないのですが、日蓮が考えていた仏教世界の創出は、日蓮が生きている間には実現しませんでした。
現代においても実現しておりません。
一定数の日蓮信仰、法華経信仰は、確固として存在していますので、それなりには、日蓮の目指した仏教世界があらわれているといえるでしょうが、まだまだでしょうね。
日蓮仏法を研鑽の中で練り上げながら、ブラッシュアップしていく中で、新たな展開がみえてくるでしょう。
我々自身が、まだまだ、御書、法華経を自身のものとしていないので、大した広がりがないのだといえるでしょう。
日蓮没後733年となりますが、大きな歴史の観点からすると、まだ733年といえます。
宗教の歴史は、1000年単位で変わると考えると、日蓮仏法は、いまだ途上にあるといえるでしょうね。
用いられない悲しみはありますが、長い目でみていくことですね。