莚三枚・生和布一籠・給い了んぬ。
抑三月一日より四日にいたるまでの御あそびに心なぐさみて・やせやまいもなをり・虎とるばかりをぼへ候上・此の御わかめ給びて師子にのりぬべくをぼへ候。
莚三枚御書 1587頁
莚三枚御書は、真筆を富士大石寺が所蔵していますので、莚とわかめとを供養したのは、南条家、南条時光でしょう。
3月1日から4日まで、南条時光は、日蓮のもとを訪れたようです。
日蓮は、相当、喜んでいるようで、やせ病も治り、虎を捕えられるほど元気になり、わかめを食べ師子に乗るほどの勢いになったようです。
心の細やかな変化を文章にする日蓮は、他の仏教者とは明らかに異なります。
情感豊かな人であったことが窺われます。
さては財はところにより人によつてかわりて候、此の身延の山には石は多けれども餅なし、こけは多けれどもうちしく物候はず、木の皮をはいでしき物とす・むしろいかでか財とならざるべき
同書 同頁
続いて日蓮は、財というものは、ところにより、また、人によって変わるものであると言います。
必要なところに必要なものがあれば、それは財といえます。また、ものを必要とする人にそのものがあれば、それは財ですね。
必要性があってこそ、ものは財となり得ます。
ただ単に、あればよいというものではありません。
身延山にいる日蓮にとって、莚は必要なものだったのですね。
どの程度の莚であったかは分かりませんが、通常、財というほどのものではないでしょう。
しかし、日蓮は、南条時光から供養された筵を財であると言います。
ちょっとしたことですから、あえて文章にすることもないだろうと思うところ、日蓮は、文章にするのですね。
感謝の念を表現するのに躊躇がありません。
極めて実践的な人であることが分かります。
南条時光の訪問といい、必要としていたものを供養してくれたことといい、日蓮にとっては、うれしくて仕方がなかったのでしょうね。
なお、堀日亨編 『日蓮大聖人御書全集』 創価学会 1952 には、莚三枚御書の冒頭の真筆が付されています。参照いただくと分かる通り、「莚三枚」と大書されており、感謝の気持ちが文字にあらわれています。
なぜ、日蓮仏法が広まったのか。日蓮のこのような人間性が大きく影響しているでしょう。
全知全能の神の宗教でもなく、無機質な宗教でもなく、一人の人間として情感豊かであり、その人の宗教だからこそ、人を引き付けたのでしょうね。