代の末になり候へば・かんばちえきれい大雨大風ふきかさなり候へば広き心も・せばくなり道心ある人も邪見になるとこそ見へて候へ
兵衛志殿御書 1095頁
心が広く、道を求める人間であったにしても、経済的に困窮すると、心も狭くなり、ものの見方も曲がってくるということです。
人間は、環境によって、たやすく変わってしまうものです。
よって、どのような状態になっても、変わらない軸が必要でしょうね。
古来、その軸となってきたのが宗教といえるでしょうね。
どの宗教であれ、困難を乗り越えるために出てきたものであり、宗教それ自身も困難を乗り越えてきたという歴史があります。
経済的なことも大切ですが、その経済的なことを超えたところに宗教の意義があります。
仏教、キリスト教、イスラム教等々、経済的な救済よりは、魂の救済を目指しています。
経済的に困窮したからといって変わってしまうものではないのですね。
それどころか、経済的に裕福であるほうが宗教を保持し得ないようです。
キリスト教の知見を見てみましょう。
イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」
『聖書』 日本聖書協会 マタイによる福音書 19.23−24
お金持ちであるばっかりに、信仰できないということがあるようです。
こう考えますと、お金持ちになるのも考えものですね。
経済的に裕福になることは大切なのですが、それよりも大切なのは自らの命を仏にすることであり、そのための信仰がもっと大切なのですね。