我弟子等の中にも信心薄淡き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し其の時我を恨む可からず
顕立正意抄 537頁
信心しているから大丈夫と安易に考えていると、臨終の時、阿鼻獄の相になってしまうようです。
そして、日蓮を恨もうとすると、日蓮は、私を恨んではいけません、と言います。
所詮、信仰とは、自分自身が行い、その結果はすべて自分自身が受け取ることに尽きます。
あの人が悪い、この人が悪いと言ったところで、何にもならないのですね。
あくまでも、自分自身の信仰の厚薄によるということです。
信仰が厚ければよいのですが、ほとんどの人は薄い。
よって、臨終の時、阿鼻獄の相になる。
何のために信仰しているか分かりませんね。
中途半端な信仰は、意味がありませんね。
信仰するならば、臨終の時、成仏の相になるように信仰しなければなりません。厚い信仰心が求められます。
そのためにも、御書、法華経の研鑽は外せませんね。