此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし
報恩抄 329頁
追善供養を行う際、どのように念じるのが価値的なのか、いろいろ考えたところ、上記の御文の「故道善房」のところに、追善する人の名前を入れて追善するのがよいでしょう。
「此の功徳」とは、南無妙法蓮華経の功徳のことであり、自身が南無妙法蓮華経と唱えて得た功徳をそのまま追善すべき人に集中させるわけですね。
まずは、自分自身に功徳がなければ、追善は不可能です。
南無妙法蓮華経という根本たる法をもってして、追善が可能というわけです。
先祖を供養する宗教的振る舞いをしていく中で、我が身の源流に思いを馳せ、命そのものの価値を深く感じながら、雑多なものを取り払うことが肝要です。
生きていきますと、どうでもいいものがまとわりついてくるものです。
命そのものの価値を忘れがちになります。
しかし、先祖と自分自身との繋がり、つまり、その繋がりは命そのものの繋がりということですが、この繋がりから、命から物事を見た時に、ほとんどのことは副次的であり、雑多なものであることが分かります。
なぜ、先祖供養が大切なのか。それは、根本たる命を軸に生きていくためであり、どうでもいいことを灌ぎ落すためといえるでしょう。