大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき
大悪大善御書 1300頁
自分の人生を思い返した時、今までの人生は、ある意味、大悪であり謗法であったと考えることができます。
今までの人生の全てが悪いというわけではありませんが、さほどいい人生ともいえない。
中途半端に今までの人生がよかったと考えることは好ましくないのではないかと思うのです。
今までの人生を否定するほどの強烈な感覚が必要と思うのですね。
これからの人生は、確かに今までの人生の続きではあるのですが、今までの人生をただなぞる人生にしたいとは思わないのです。
全く別の人生になるわけではありませんが、質的に異なった人生となるような気がしますし、また、そうあろうと考えているのですね。
その際、上記の御文が参考になります。
そう、今までの人生は大悪であった、謗法であったと考えるのですね。
しかし、これからの人生は、大正法が広がるような人生となり、嘆くことがあろうか、と考えるのですね。
まさに、自分の人生はこれからであるというわけです。
過去は過去として認識はしつつも、終わったことであり、実のところ、どうしようもないのです。
何かを為すといっても、未来のことしか為せません。
これからの人生といっても、過去からの継続という側面があり、その側面による制約はありますが、全くがんじがらめというわけでもなく、質的に変化を起こす余地が残っています。
その余地を利用しながら、変化の人生としていきたいのですね。
どこか遠くに行くわけでもなく、表面的な変化でお茶を濁すのではなく、内面から質を変化させるのです。
傍目には、変化が分からないぐらいの変化がよいでしょうね。
しかし、毎日、毎日、変化するということが大切です。
何気ない日々のように見えて、一日一日は極めて貴重です。
毎日が記念日といっても差し支えないでしょう。
いずれにしても、これからの人生が本当の人生であるとの気概で生きていきたいものです。