「わしが小坊主のとき、先代がよう云われた。人間は日本橋の真中に臓腑をさらけ出して、耻ずかしくない様にしなければ修業を積んだとは云われんてな。あなたもそれまで修業をしたらよかろ。旅などはせんでも済む様になる」
夏目漱石『草枕』新潮文庫 148頁
禅僧の言葉として発せられたものです。
なかなか味わいのある台詞ですね。
恥かしくないように生きろということです。
そうすれば、旅などしなくてもよくなるということです。
旅など、自分の住んでいるところと違うところに行くことは、見識を広めるためにおいても、いいことだと思われるところですが、別に無理をしてまで、あちこち行く必要もないでしょうね。
ある程度は、旅もすればよく、あちこち行くことも結構だと思いますが、いつまでも旅だなんだといってフラフラしているのも考えものですね。
今、自分がいるところで充実するべきでしょう。
あそこへ行きました、ここへ行きました、の報告に終始している人は、禅僧からすると修業を積んでいない人と映るでしょうね。
自分が動かずとも楽しめるほどの人間になるべきですね。存在そのものを楽しむという視点です。
旅は旅で結構ですが、まずは、自分の住んでいるところで楽しむという基本、根本があった上での旅ならば意味があるでしょう。
自分の住んでいるところが気に入らないならば、引っ越しをすればよいだけです。
日常生活の充実がメインであって、非日常は非日常ですから時々でよいのですね。
人生の時間のほとんどを占める日常生活の幸福なくして人生の幸福もありません。
禅僧の台詞は、このようなことを示していると思いますね。