鹿をほうる犬は頭われず師子を吠る犬は腸くさる
兄弟抄 1080頁
人を不愉快な気持ちにさせる人が一定数いますが、このような人は、兄弟抄でいうところの犬とみてよいでしょう。
ただ、自分自身が鹿程度であれば、犬に実害はありません。
自分自身が師子たる人間であれば、犬の腸は腐るということです。
我々としては、犬に対して何かをする必要はなく、ただただ、自らが師子たり得ればよいのですね。
兄弟抄でいう師子とは、真実の法華経の行者といえるでしょう。
自らの信仰に基づき、真実の法華経の行者になることに専念しておけばよいのです。
そうして自らが師子たり得たのち、犬は師子に対して吠えた報いとして腸が腐るというわけです。
我々としては、犬に対して、直接、手を下す必要はないのですね。勝手にそうなるというだけのことです。
そのためには、自らの信仰を透徹させ、真実の法華経の行者になることです。
犬に対してむかつく暇があれば、御書、法華経を研鑽し、方便品、寿量品、題目を自分のものにする修行を行うことですね。
そして、世法において、自分自身がしなければならないことに励むことですね。
犬を相手にするのではなく、自分自身の課題に取り組むことが肝要であり、そうしている内に犬のことなど気にならなくなるでしょう。