南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり
曾谷入道殿御返事 1058頁
日蓮仏法においては、南無妙法蓮華経との題目を唱えます。
根本の法が南無妙法蓮華経なのですが、どのような位置付けなのでしょうか。
日蓮によると、一代聖教という全経典の肝心というのですね。中心ということですね。
そして、法華経の心であり、体であり、所詮とまで言い切ります。
中心の中の中心、そして、その中心というふうに、とことんまで根本たる法であると強調します。
一代聖教は莫大な量があり、法華経にしても、さほど分量が多くないとはいえ、それなりの分量があります。
仏教信仰、法華経信仰をするといっても、そう簡単ではないのですね。
しかし、日蓮は、一代聖教、法華経の骨髄として、南無妙法蓮華経を立てました。
南無妙法蓮華経と唱えるのにかかる時間は、1.5秒から2秒です。
数秒にて仏教信仰ができるわけですから、相当、斬新ですね。
ただ、南無妙法蓮華経と唱えることができるかというと、ほとんどの人にとって、唱えることは困難でしょうね。
南無妙法蓮華経との題目だけを取り出されても、一代聖教、法華経を凝縮した法ということが分からない限り、単なる呪文と思ってしまいます。
やはり、御書と法華経との研鑽をしておきませんと、南無妙法蓮華経の位置付けが分からず、唱える気にはならないでしょう。
結局は、御書、法華経の研鑽が必要ということです。