智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり
減劫御書 1466頁
知性のある人、智慧のある人は、どのような人か。
世の中の道理、法律、慣習、伝統、文化等々に基づきながら、自身の仏法信仰を行える人ということですね。
世の中のことを知らずして、実の所、信仰は完遂できないでしょう。
信仰は、あくまで自身の生活基盤の上で展開されるべきものであり、山林に交わるのが信仰ではありません。
その点からすると、在家仏教というのが本来の信仰のあり様と思われますね。
確かに、出家仏教も結構なのですが、現代においては、在家仏教で十分でしょう。
昔であれば、本もなければ、ネットもなく、情報そのものがないわけで、比叡山などの特定の場所に行かない限り、仏教信仰ができなかったという事情があります。
しかし、現代は、本もあり、ネットもあり、情報もあり過ぎるぐらいであり、仏教信仰において困ることはないのですね。
あるとすれば、よく分からない新宗教団体が信仰の邪魔をするというぐらいでしょうか。
いずれにしても、仏教信仰をする上で、出家する必要性がないのですね。
在家で十分であるだけでなく、在家でなければならないとも思います。
日々の生活の中での困難に対して、それを乗り越えるべく、仏教が存在しているのですから、実生活の中で生きていくところでこそ、仏教は輝くというものです。
世の中のことを知悉し、その上で信仰することを日蓮は指摘してくれているわけです。
我々としては、ただただ、実践すればよいということですね。